前回の記事で『毒親』という単語を使いました。

自分がそうならないようにという自戒を込めての表現なので、誰かを責めたり傷付ける意図はないです。でもなかなか字面にパンチがありますよね。

『毒』ってねドクロ


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私は、実母と確執があります。


この辺りの記事で詳しく書いてます。


以前書いたことがありますが、私の母はエホバの証人という宗教の信者で、私も18歳まで宗教2世として育てられました。それは自身の人格形成に大きな影響を及ぼしたと思っています。


この宗教には“世界の終末”という荒唐無稽な教義があります。私は幼少期より、

「あなたが大人になる前に、終わりが来るんだよ。もうすぐだよ!」

と教えられました。そんな私も37歳。立派なアラフォーw


「この世界は終わるので、信者でない人はみんな滅びて(死んで)しまう。だから、神を信じていない学校の友達などとはあまり親しくならないように」

「大学などの高等教育は無意味」

「フルタイムの仕事に就くことも勧められない」

「年金を受け取ることはないから払うのは無駄。免除や猶予申請をするのが賢明」

…正気か?と思うような教育を教団のもとで受けたため、成績が良くても進学せず、高校卒業後はパートをしながら宗教活動に勤しんでいる若い子が多かったです。

宗教をやめても、いつか終わりが来たら信者ではない自分は死ぬんだろうなぁと思いながら生活している人も一定数いました。学歴やまともな職歴もなく、いまだに生活が不安定な方もいます。幼少期〜学齢期に受けた教育の影響ってそれなりに大きいです。


もちろん、親は子をダメにしようと思って宗教をやっていたわけじゃない。子どもが死なないように、幸せに生きられるように、愛情ゆえにそういった宗教教育を受けさせているワケで。


でもでも、子を思い幸せを願う気持ちがあっても、土台が間違ってたらダメじゃないですか。育児方針がそんなんだったら、いくら深い愛情があってもカバーしきれないよ。親が死んだあとも、子どもの人生は続くんだから。


母は、私を愛してくれていたと思います。

でも、母の掲げた方針は正しくなかった。

だって、この世界の終末なんて来ないのだもの。母の信じている神など実在しないのだもの。


子育ては、愛情だけではダメだ。進む道を間違えちゃいけない。でも、私も母のような間違いを犯さないと言えるのだろうか。

謙遜でもなんでもなく、自分のことをいい母親だと思えたことがありません。長男を育てていく上での方針や指針をきちんと考える余裕もなく、ただ日々の世話で精いっぱいで、間違った対応ばかりしている気がして。これが我が子の将来を左右してしまうかもしれないと思うと、怖くて怖くてたまらない。


以前、児童館の相談員さんにこの話をしたことがあります。話しながら泣いてしまいました。


「あまりにも正しくあろうとすると、疲れちゃうよ。子育てに失敗はつきものだから…そこまで考えているなら、大丈夫。大丈夫だよ」

相談員さんは優しくそう言ってくれて、一緒に泣いてくれました。


母を毒親とは言いたくないけれど…

でも、もう宗教とも母とも関係のない人生を送っているはずの私に、呪いのようにそれはつきまといます。

正しくなければいけない、間違えてはいけない、母のようになりたくない。

時々、しんどくなります。



なんだか、重い話を書いてしまった。

疲れてるのかな。書いたらちょっとスッキリしました。明日も頑張ろ。


読んでくださって、ありがとうございましたニコニコ