世間は母の日ですね赤薔薇


といっても、私にとって『母の日』というイベントは生まれてこの方縁のないもの真顔

というのも、実の母親が信じている新興宗教では『母の日は異教の祭りが起源なので祝わないように』と教えられており、母親は自分の実母や義母(つまり私の祖母たち)に何も贈ったことがありません。もちろん、私も母親に何かしてあげたことはありません。


ちなみに旦那一家も同じ宗教の信者でしたので、今は亡き義母にも母の日のお祝いは不要でした。

またこの義母も強烈な方でして…だからかな?すべてを包み込み、無条件の愛をくれるようなあたたかい母親像は私の中に存在しません真顔


考えようによっては、わざわざプレゼントを探す煩わしさがなくて良かったかもしれませんがよだれ



私と母親との間に確執ができてしまってから、1年以上経ちました。ずっと会ってないし、声も聞いてない。

詳しい経緯はコチラ→そんなおばあちゃん、いらない!

タイトルがひどいけど、この思いは今でも変わらないもやもや


ちょうど、長男が知的障害を伴う自閉症スペクトラムと診断を受けた頃。そんな時に助けや支えとなってくれるどころか母親との関係悪化という余計な懸案事項が舞い込んできて、ストレスで身体中に原因不明の湿疹ができたり、夜も眠れなかったり、食事が取れなくなったりしたっけドクロ


もう今は、母親に何の期待もしていません。

生み育ててくれたことは感謝していますが、ただそれだけ。


だからこの季節、ネットの広告やチラシなどで、

『母の日に日ごろの感謝を伝えませんか花束

なんてキャッチコピーを見ると心がチクチク痛むのです。


そもそも幼い頃から祝うことを許されなかったし、祝ってあげたいと思えるような関係性の母親はもういないし。

そもそも母親を疎ましく思う自分は、母親に会ってもらうことすらかなわない自分は、人として何か欠落してるようにも思えて。


そんな自分が母としてちゃんとやっていけているのか、同じ轍を踏むのではないかと怖くなります。


園や療育で、

「いいお母さんだね、いつも子どもたちをよく見てるし、頑張ってるね。穏やかな子に育てたね」

と褒められるたびに、

(そんなことない、もし長男の手を離してしまえたら楽になるかな…と思ったこともあるし、実際危ない目に遭わせたこともある。ひどいことを言ったこともあるし、全然いいお母さんじゃない。ただひたすら、この子たちがいい子なだけなのに)

とむず痒いような気持ちになったり不安


そこは「ありがとうございます」と素直に受け取ればいいのに、我ながら拗らせてるなぁ凝視


私にとって『母親』『お母さん』というワードは呪いのようなものなのかもしれません。

子どもたちのおかげで少しずつ自分を育て直し、呪いを解こうとしているような、今はそんな感覚です。