うちの長男は、発語いまだゼロ。
エコラリアすら口にしません。
模倣もできない。
通る指示も、ひとつもありません。
知能の低さも、毎日思い知らされます。
6ヶ月の次男と遊び方が一緒。しゃぶったり引っ張ったりくるくる回したり。
対象年齢1歳以上のおもちゃは遊べない。ボタンをポチッと押すだけのマグの蓋の開け方すら理解できない。
そもそもプラ素材は破壊し、布素材は手で絞れるくらいよだれでベショベショにし、紙素材は粉々にして食べる。
人間と思えないこともあります。
かと思うと、家から脱走することにかけては天才的で、昨日も一瞬の隙をついてウッドデッキの脱走防止ネットを巧みにくぐり、裸足で庭の外へ出ていってしまいました。
脱走中の我が子の姿を見つけたとき。
このまま長男が道路に出て、
もし車に轢かれて死んでしまったら、
この、報われない子育ても終わる。
次男は一人っ子になっちゃうけど、
きょうだい児として我慢させることもない。
親子3人で暮らすのも悪くないじゃない。
悪魔の囁きのような恐ろしい考えが、私の頭を瞬時に駆け巡りました。もちろんすぐ追いかけ、無事捕まえたのですが。
ゾッとしました。
自分がお腹を痛めて産んだ子の死を、一瞬でも願うなんて。
そういえば、一昨々日は長男を虐待する夢を見た。昨日は、長男が目の前で命にかかわる怪我をする夢だった。
私は長男に死んでほしいのだろうか。
否定するように、朝起きたら長男を抱きしめ、大好きだよと口にするけど。
どちらが本当の自分なのか。怖くなります。
障害のある我が子を理解したいと頭では思っているのに、深層心理ではこの子の親であることから逃れたいと強く願っているのかもしれません。
我が子に障害があることは受容してても、障害児の親となった自分のことは受容できてないんだろうな。