⚠非常にくだらなくて長たらしい
ただの愚痴のような文章を書きます。









最近どういうわけか
こだわりが炸裂して
引っ込みがつかなくなったり
落ち込んでしまうことが
たまにある。




子どもが選んだ
キャンプの寝袋の色が
私はどうしても好きになれなくて
いつまでもぐじぐじ
家に置いてあることが許せない、
気に入らない、
買うんじゃなかった、
なんて夫に愚痴ってしまう、とか

ホームセンターに売っている
雪かきスコップの色や形が
どうしてもイヤで
今季4回も雪が降ってるのに
手持ちの重たい角スコップで
なんとかしのいでしまった、とか 
角スコップ S501MHY

角スコ重いのよ… 



新築の収納内のポールの位置を
絶対に自分で決めたかったから
早めに内寸を教えてくれと頼んでいたのに
ずっと教えてもらえず
結局、私が指定したところには
どうしても設置できない状況になってしまい
それを何度も思い出して悔しい、とか…




どうやら私は
何かとデザインについての
こだわりが強いらしい。
見た目や効率重視派。
でも、自分の好き嫌いの基準が
かなりハッキリしてきたのは
わりとここ数年のこと。






幼少期の私は
母親の選んだ服を毎日着て
母親が私の髪の毛を好きに結わえて
母親にほぼ全ての選択権があった。
それが別にイヤではなかった。
流されるままに過ごしていたら
いつの間にか
自分自身の好きとか嫌いとかの感情が
よくわからなくなっていた。
(もちろんほかの要因もあるが一応補足)

なんなら人が選んだものの方がいい、
という感覚に慣れきっていた。
高校の頃、部活の話し合いで
A案とB案どちらがいい?という話題の時に
あなたはどちらがいいの?と
ある人から結構しつこく聞かれて
困った私は
『選んだ人が多い案がいい』
と言って閉口されたことがある。
なぜそんなに私の意見を聞いてくるのか
その時は全く理解できなかった。
その人は確固たる自分の意見がある人だったので
私の意見も聞きたかったのだろう。
そもそも自分の意見など無かった私にとって
意見を聞かれることは苦痛でしかなかった。
そしてそのまま
自分が好きなものを選ぶという感覚が
すっかり欠落した大人になっていた。





ここ数年で四柱推命に出会い
私は自分自身のエネルギーである
比劫星が極端に少ない
超身弱の命式だということがわかり、
これまでの自分の言動の理由はコレか!と
スッと腑に落ちた。
一応、セオリー通りに
用神(比劫や通根)を取ろうと
自分なりの解決策も講じてみた。
まずは自分に向き合って
自分の好き嫌いを感じる力を
少しずつ少しずつ取り戻して
自分のエネルギーを補給?してみた。


初めはよくわからなかった自分の好みが
強く意識してみれば
だんだんハッキリとしてきて
あー、私はこんなのが好きなんだ、
こーゆーのは好みじゃないのね、なんて
わかるようになってきた。
なんか、少しずつだけど
身の回りが自分の好きなもので囲まれるって
やっぱり多幸感に繋がるんだなと実感した。
こうやってブログを書くことも
一種の自分と向き合う術。
自分の中身を吐き出して客観視して
自分をより知ることができている。



でも
好みの輪郭がよりハッキリしてくると
今度は
異様に自分の好き嫌いに
執着するようになってしまった。
自分の感覚に蓋をしてきた反動のように
強いこだわりが
今ではたまに噴出してしまうのである。
もともと命式にある食傷のエネルギーが
強まっているような気もしている。
比劫を強めれば自ずと食傷に漏れる。
バランスが非常に難しい。



でもきっとこれは
自分を取り戻すための
通過点なのだと思っている。
いずれバランスを取れるように
まだリハビリ期間。練習中。
これでも前よりマシになってきていると思う。




つづく…