『崩れるから面白い』 | 楽つみ木の世界 

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数万個のつみ木を携え、全国各地の幼稚園や小学校などでユニークなワークショップを開く「積み木おじさん」こと、荻野雅之さん(63)=山梨県中央市=。

 

わずか3種類の小さな積み木から独創的な空間を作り出す遊びを通じて「失敗を乗り越え、協力してものをつくりだす経験を多くの子どもたちにしてほしい」と話している。

 

 ▽つみ木広場

 東京都心のイベント会場に、すがすがしいヒノキの香りに包まれた一角があった。赤いじゅうたんを敷いたフロアで、約40組の親子が、決められた時間の中でつみ木を組み合わせ、思い思いの造形に取り組む「つみ木広場」。

 

 

作品の間を縫うように歩きつつ、「素晴らしい!未来の建築家だ」「すごいね。これは恐竜かな?」と、一人一人に声を掛けて回るのが、荻野さんだ。胸の高さまで積み上げていたピラミッドが崩れて立ち尽くす子には「大丈夫!君の作品は覚えているよ。もう一度みんなでつくろう!」と励ますことも忘れない。

 

 

 「うまい、へたはないけど、失敗はある。それがつみ木のいいところ。

 

積み木は一人遊びの道具と思っている人も多いけど、みんなでやれば、ほかの子の積み方に影響を受けたり、作品同士をつなげたりして世界が広がる。見ず知らずの子同士が、気づけば協力して一つの作品をつくっている。自然に生まれるそんな“遊び合い”の経験も大切だと思っています」

 

 「楽(らく)つみ木」と名付けられたつみ木の形は一辺3センチの立方体と長さ12センチの板状の直方体、高さ3センチの台形の3種類。一見、単純な形だが、台形の積み木は、5つ合わせるとアーチに。板状のつみ木を横につなげれば、作品と作品をつなぐ線路が出現する。開始から1時間後、約2万2000個の積み木を使い切って完成した幻想的な空間に、参加者からは大きな歓声が挙がった。

 

 

 「同じものは二度とできない。芸術は、美術館に飾られた絵画や音楽の中だけでなく、こうしてみんなでつくりあげたものの中にあることを、子どもたちに知ってほしいと思います」

 

 ▽崩れるから面白い

25年前、山梨県の八ヶ岳で行われた収穫祭で家具を出展した際につくったのが「楽つみ木」の始まりだ。 「当時中学生だった息子を収穫祭に誘ったら『子どもでも楽しめるものがあるなら』と言われ、余っていた間伐材で積み木をつくることを思いつきました。できるだけ無駄になる部分を少なくするため、球や円柱はつくらず、形は初めから今の3種類。台形は、ギリシャ建築がヒントになりました」

 

 収穫祭当日、出展したテントの一角に積み木を展示すると、熱中して遊ぶ一人の少年がいた。小学5年生だというその少年は、翌日も荻野さんのテントを訪れ、終日、遊んでいった。

 

 

 「『何がそんなに面白いの?』と尋ねると『崩れるから面白い』と言うんです。普段はレゴブロックで遊んでいるけれど、レゴは崩れないと。積み木の魅力を知りました」

 

 これをきっかけに、家具製作の傍ら、妻の絹代さんとともに積み木を運んでは、子どもたちが集まる場で「積み木広場」を開くようになった。

 「軽くて積みやすいのが楽つみ木の特徴ですが、初期の積み木広場は屋外でやっていたので、風で飛ばされることもある。すると、風よけの壁をつくる子がいたり、足りなくなった積み木を調達してくる子がいたり、自然に役割分担が生まれるのです。協力することで無限の可能性が生まれ、何回でもやり直すことができる積み木の奥深さを多くの子どもに体験してほしいと思いました」

 

 その後、積み木の販売も始め、次第に、積み木広場も現在の形に発展していった。子どもたちへの絶妙な声掛けから「ファシリテーター」と形容されることもあるが「教えてくれたのは積み木と子どもたち。一番楽しんでいるのは、このオジサンかも」と照れていた。

 

 荻野雅之(おぎの・まさゆき)さん 1948年北海道生まれ。1女1男の父。貿易関係の仕事などに携わった後、子育てに適した環境を考え、脱サラして長野県に移住、家具職人になる。その後、山梨県に移って家具工房「木楽舎」を開設。96年に参加した同県内の収穫祭「ポール・ラッシュ祭」をきっかけにヒノキの間伐材を使った積み木づくりを開始。現在は全国で年間約40カ所の「積み木広場」を開く。

 

 

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