これは、あくまでも私個人の考えで

誰か特定の人を非難するものではないので

それを踏まえて読んで頂きたいですが

 

文章を書いて公表するって

そこに文責ってあると思うのです

 

私は10代の頃から会報を作ったり

成人してからも

自費発行のミニコミ誌を発行したり

地元ローカル新聞にコラムを連載したり

投稿したり

最近ではSNSをしたり 

文を書いて公表してきました

 

基本的にはどこの誰だかも公表した上でです 

 

中には新聞の記事に匿名で手記を掲載された事もありましたが 

記者や新聞社には個人情報は明かしているので

どこの誰だか追跡は出来る状態です

 

 

「文責」って

新聞や雑誌の記事や小説などの

プロの書く有料の文章だけにある

というイメージを持つ方が多いと思いますが

昨今のネット社会では

素人個人が世界に向けて文章を無料で公表する事が

日常的になっています

中には大きな社会的影響力を持つものもあり

それによって被害を受ける人々まで出てきています

 

ネット上では

それらを規制する事が追いついていないまま

野放しで垂れ流し状態です

ルールが法制化するよりも早く

次々とあらゆる媒体が生まれています

規制しても次なる別な方法で法の隙間を縫って

色々な情報が垂れ流されています

 

その多くは個人を特定できない匿名性が高く

そこには文責など存在しないのです

 

表現の自由

という言葉をかかげ

まるで

何を言っても書いても構わない

とばかりに放出され続ける

匿名文章の数々

 

表現の自由

というものには共感もあります

でも私個人は

そこに文責を持ってほしいなぁと感じます

 

自由って自分の言動に責任が伴うと

私は思っています

 

個人の考え、意見、想い、感想は

何を思っても良いと思います

それを公表するのも良いと思います 

 

でもそれを誰かを匿名で攻撃する道具には

して欲しくないと私個人は思います

 

抗議をしたり被害の告発や予防の為に想いを訴える際の

発言者の保護の為の匿名の必要性も感じます

 

でもそこにも公表する担当者が文責を持ってほしい

 

どこの誰が書いたのか分からない文章が

垂れ流しのネット社会には

危機感を感じます

 

文章を書く上で

私も失敗した事があります

 

だからこそ

文責を痛感しました

 

幼い頃から

本が好きで文が好きで言葉が好きであるからこそ

言葉の暴力の怖さも痛感しています

 

世の中には色々な人がいて

色々な価値観があり

置かれた立場も環境も違います

正義って人によって違います

なので何が正解ってないのでしょう

 

声をあげにくい人にとっては匿名性って

必要な時もあるのでしょう

 

でも私個人は

文章を公表する人には

名乗るか又は

文責者を通して公表してほしいという

想いがあります

 

これはあくまでも私個人の思いで

誰かを批判するのでもなく

批判されるのも望みません

こういう考えの人もいるんだなぁ

と読み流して頂ければ幸いです