人を一つのモノサシで見ない | 人間と地球と文明と哲學

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私の夢「地球そして宇宙を、生命・命の楽園、愛と感謝、勇気と智慧、創造と學びの場とする」を具体的に表現する手段の一つとしてブログ始めました。

「人を一つのモノサシで見ない」
 
何でこんな言葉がよぎったかと言うと、
この世の感情的な争い事の発端は、
「相手を自分のモノサシで見る」、
言い方を変えると、
「自分の思い込みで相手を見る」
ことから生じるのかなぁ、と思ったから。
 
この世に生まれ、色々失敗したり学んで経験して知識を得て成長してきたが、人間関係の成長は、最初の親子関係で自分独自のモノサシ(世界観・人間観)を作り、その後の本人の成熟具合により「人は色んなモノサシを持ってるんだな」と言うのが分かってくるようになる。
 
でも、その成長は人まちまち。
人によっては、
自分のモノサシが時によっては役立たないこと
を気付かずに一生終える人もいるに違いない。
 
自分はやっと今になって、
「人は色んなモノサシを持ってるんだな」
って、気付いた次第である。
 
過去、会社の研修などで、
こんなモノサシを聞いた。
  「DiSK理論」
  「エニアグラム」
  「PM理論」
  「SL理論」
  「VAKogモデル」
  ・・・
 
今、ロジャー・ハミルトンの本を読んでおり、
この人の人の見方に興味がある。
こんなことが書いてある。
 
「自分の道を歩んだとき、
私たちは初めて本来の力を発揮できるのだ。
 
もしビルゲイツがサッカー選手としてのキャリアを選んでいたらどうなっていただろう。
オプラウインフリーが商品相場をやったら、大金を稼いでいただろうか?
ウォーレンバフェットはMTV(ミュージックテレビジョン)に出るようなスターになれただろうか?
彼は20代の頃、百ドルをかけてデール・カーネギーの話し方講座を受講した。
その理由をこう語っている。
『人前で話をするときに、ひざが震えていても話ができるようになりたかっただけです。』」
 
人の作ったモノサシを、その本質まで
掘り進めて理解し、自分のモノサシとして
使えれば、より楽に、より楽しく、
人生を過ごせるだろう。
 
幼少の頃に偶然に掴んだモノサシで
一生を終えてはならない。
それでは他の動物と変わらない。
 
人間が素晴らしいのは、
ニュートンの名言
「私がさらに遠くを見る事が出来るのは、
巨人の肩の上に乗っていたからです。」
のように、
先人の良いモノサシを学び、
自分のモノサシとして取り入れられるから。
 
・・・
 
今日はとり止めのない話でしたが、
無理にまとめようとせず、書き続けます。
最後まで読んで下さり
ありがとうございました!