生きてます!
どうも!けいじゅです。
はじめに、今回の震災で尊い命を奪われた方のご冥福をお祈りいたします。
けいじゅは地震の時は、仕事で東名~野蒜の205系がグニャグニャになっているすぐそばにいました。
道路は地割れし、電柱やブロック塀が倒れてくる中待機していました。
地震がおさまって直ぐにラジオや、防災無線で津波が来ます!と、到着時間を何度も繰り返していました。
すかさず、嫁から電話があり家族全員無事を確認。
津波到着まで15~20分、速攻で車で逃げました。
逃げる途中に高校生数人が家から出てきて、ふざけながら津波をみに行こうぜ的なノリでした。
一応かなり高い津波がこっちに向っているから、直ぐに避難しろと警告しました。
余裕余裕と言いながら彼らは運河を越え海に向って行きました。
高校生らを後にし、避難しながら移動。
野蒜から三陸道に行くのが一番早いのですが、どうせ震災で通行止。
45号線は同様の考えの人で渋滞もするだろうし、海からも近いので却下。
そこで三陸道に沿ってほぼ下を走る県道を選択して走行。
全開の地震の時はこの道路かなり地割れや段差が酷かったのですが一か八か。
思ったより被害も少なくなんとか通れました。
会社に直行しようと思いましたが。
会社なんかよりも家族が大事なので前谷地に直行!
途中何箇所か渋滞してましたが、なんとか帰宅。
家に着き、玄関を開けると泣き叫ぶ嫁と子供が飛び寄ってきました。
家族全員と自宅の無事を確認し、会社に向いました。
途中停電で信号が消えているために渋滞が酷かったので裏道を迂回。
すると、石巻線の踏切の遮断機が下りたまま開かず状態。
線路上の踏切用特殊信号発光機が全て発報!初めて見た。
遮断機はJRの人が来て折って渡っていいよとのこと。
折っていいよって言われても・・・
仕方ないので工具を使って遮断棒を外しってこの忙しいのに何をやっているんだ?と自問自答
とりあえずなんとか会社に辿り着いたら会社はメチャクチャ。
上司に言って帰ろうとしましたが、既に上司の姿はなく帰宅したとのこと
上司の自宅は女川なんですが、その後行方不明に・・・
仕方ないので別の課の上司に伝言して帰宅。
でも駐車場に隣接している商品ストックが全て崩れて、自分の車を出すのにかなり苦労しました。
何とか脱出して再度帰宅。
そして電気と水道のない生活が始まったのです。
ケイタイは充電がなくどこにも連絡ができず安否確認もできない状態。
日の出と共に起きて夕暮れと共に寝る生活。
日が経つにつれ震災の被災情報が入ってくる。
ラジオでしか情報は来ないがかなり酷い様子。
毎日の水くみと食料調達にガソリン調達のために前日の夜から並ぶという。
地震後2日目にしてきた薄い朝刊を見て愕然とする。
実家のある東松島市もそうですが、いつも見慣れていた風景が全て消え。
まるで戦争の後のような状態。
毎晩寝る度に悪い夢であるように祈って寝ました。
でも朝が来てラジオをつけ朝刊を読むと現実に戻され、失望感が増し気力も無くなる。
でも、被害も少なく助かったこの命は大事にし、震災でお亡くなりになった方の分まで生きないと。
心の中で毎日頑張ろうと言い聞かせ続けました。
でないと簡単に心が折れそうな感じだし。
震災後9日目にして電気が復旧。
改めて電気のありがたさを感じる。
10日目にして、妹のいる地域の電気と水道が復旧し風呂を借りに行く。
こんなにさっぱりしたのもそうだが、こんなに風呂に入らなかったのも生まれて初めてだろう。
11日目にして実家の復旧のために東松島市に向う。
最寄駅だと陸前赤井だが、通行できる道路が限られているので迂回しながら三陸道をくぐる。
石巻港IC前から仙石線のオーバーパスを超えて目に入った光景は・・・
酷い酷すぎる光景だった。
道路は陥没、亀裂、自動車はオモチャのようにいたる所に転がっている。
石巻港から流されてきたと思われる材木や日本製紙の原料。
ガレキの山からは遺体らしいものも見えている。
そして特に酷いのが川から上がってきた泥、異臭のするヘドロの山。
津波の力というものを改めて実感する瞬間でもある。
車で行ける所まで行き、後は泥を掻き分けて実家に辿り着く。
実家の1階は泥に埋もれ何もかもが流されメチャクチャに。
みんなで泣きながら家の中を片付けた。
夢中になって片付けた。
どれだけ時間が過ぎただろう辺りは暗くなってきていた。
周囲の店舗は盗難などで荒らされているらしく、治安が悪いらしいので撤収した。
それから毎日実家の片付け。
体に染みこむ泥の悪臭で具合も悪くなる。
次の日会社から連絡があり出勤。
全国から届けられた支援物資で溢れていた。
とりあえず女川方面と気仙沼方面の避難所に救援物資を輸送するという業務。
避難所に着くまでの光景も酷く迂回迂回で普段の倍の所要時間がかかる。
避難所に着き救援物資を下ろすと被災者の方達に感謝される。
非力だが力になっているのだろう。
毎日悲しいニュースしか流れないが、みんなで協力して街を復興していかないと。
絶対以前のすばらしい街に戻るよう力を貸したい。
そして毎日願いたい。
昨日水道が復旧した。
何日ぶりの水道だろうとありがたさが身に染みる。
これからも頑張るしかないんだ。
心配をしていただいたみなさんありがとうございます。
また、みんなで撮影できる日を楽しみにしています。
ありがとう。
※当分の間ブログの更新は停止します。

