おはようございます!はねゆきこです!
先日息子と電車に乗る機会がありまして。
ある駅で座っていた息子の前にご婦人が立ちました。
私よりは年上だけど、お元気そうで、
若者ならともかく私が席をかわるなんて、嫌がられるかも・・と悩みました。
息子に目くばせし、かわる?と聞いてみるもゲーム中の息子は気づかず・・・。
思い切って
「よかったら(席)どうぞ」と声を掛けました。
最初は気づかず、(しまった!やってしまったか!)と戸惑いつつも、
もう一度「どうぞ」と手でお伝えすると、
とても有難そうに
「あ、どうもありがとうございます」と目を見て丁寧に御礼を言われました。
差し出したものが受け取ってもらえて、とてもうれしく胸が熱くなりました。
また、その表現が、「目を見て、しっかり言う」という私の好きな「カタチ」
だからその「カタチ」で返ってきたのでとても嬉しかったのです。
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普段の生活を振り返って、いろんな人を知って、いろんな感謝の「カタチ」があると思いだしました。
それは私が欲しい「カタチ」ではないけど、その人なりの感謝の「カタチ」。
長い付き合いになって行けば、それはたぶんそんな気持ちなんだろう、と察することができる。
私は家族の感謝の「カタチ」を理解し、その本当の気持ちを受け取っていただろうか・・・?
そして、自分では周りに「その人なり」や「その人のカタチ」を尊重してホシイ!と叫びながら
自分自身は周りの「その人なり」を受け入れていただろうか・・・?
自分の「カタチ」・表現方法ばかりこだわり続け、
一番大事な気持ちの部分をないがしろにしてきたのではないだろうか・・・?
・・・・・・・・・・
息子は目を見ることが難しい子でした。
その子に、私は相手に伝わるように「目を見ないと伝わりにくい」ということを言い続けてきました。
でも息子は実は目をとてもよく使っている。
私のように目のまえだけでなく、遠くまで見通す目を持っている。
私とは違うカタチで目を使い、自分の能力として生かしている。
私には伝わりにくかったけど、息子の周りの友人や先生には実は彼の良さや気持ちは十分に伝わっていたのかもしれない・・・
私が私の受け入れたい「カタチ」しか受け入れなかっただけかもしれない。
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今日はたまたま好きなカタチに出会えた。
それがジーンと嬉しかった!
でも「カタチ」に囚われず、その奥の気持ちをしっかり受け取りたい。
そんなことを思うと全く子どもからは私の方が教えられることが多い。
子育ても、毎日のそんな一コマも教えられる、気づかされることばかりです。
そういえば、しばらく
ミーシャの「アイノカタチ」が頭の中をループしていたな。
「カタチ」も伝えるには大事なんだ。
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