こんにちは、今日の投稿はお昼になってしまいました。
はねゆきこです。
昨日、早期発達支援学会の星山先生と田中先生の対談を聴きました。
「困難の克服は子どもたちに何をもたらすのか」というテーマでした。
一生懸命普通に近づけること、困難を克服させること。
その対応が親子を苦しめていないだろうか?
思い出すのは
息子が発達に課題があると知った幼少期。
普通にしなくては、と先取り勉強のため公文に入れました。
一人遊びばかりしているので、友達と関われるよう、私が「かかわり」遊びを一日1時間以上がっつりやっていました。
ゲームに一人ではまりすぎるので、時間を決めてやらせました。
それらのことがダメというのでも、無駄というのでもないのですが、
時にそれはエスカレートしてしまう。
それが恐ろしい、とわが身を思い出して思います。
管理してコントロールして、普通の枠にはめようとしてしまう。
その根底には不安があるからです。
そのまんまの息子ではなく、どこかのぼんやりした完成形があるからです。
そこに向かって終わりない戦いが始まる。
そのまんまの息子は置いてきぼり。
この子を普通にしなくては。
出来ないこと(凹み)をなくさなくては。
「みんなの仲間に入れない」
出来ないことがあると、皆と一緒に生きていけない。
掘り下げていくと、それは実は大人の中にあった「決め事」「ネバならない」
本当にそうだろうか?
今の息子は自分を理解しようとして、出来ないこと出来ることをを知り、無理をしない生活を送っている。
それが、時に父親の怒りをかう。
「努力していない」
「努力すればできるはずだ、だからやれ」
それは実は夫が自分に課してきたこと。
努力して、絶対に目標に向かってやきりきらねばならない、
とても強い人。
それは私自身もありました。が
息子のどうしてもできないことを知り、
おかげで私自身の出来ないことにも寛容になれた。
息子は実は私たち大人の苦しみを取り除いていきやすくなるよう
生まれてきてくれたのかもなーと思いました。
一足先に不安から、
この「そのまんまの息子」がどんな風に生きていくのかを楽しみに待つ、姿勢を持ち始めた私。
心配した時期、
過保護のあまりコントロールした時期、
放り出した時期
お互いが自己理解と他社理解を行き来し努めた日々
そして今。
お互いの理解と受容と距離をしり、
私たち親子はまだまだ共に成長し続けているのかもなーと思いました。
課題の克服は親や大人や周りが決めたもの
そうではなく、
自己理解からの「どうありたいか」を子どもが自分で見つけてめざしていけるよう
私は親として、保育者として、支援者として、「ありたい」と思う講演会でした。
学び続けるって大事だ!
今日のいちまい
いい香り・・・