おはようございます!Hane由希子です。

 

先日公園で見かけたある親子。

水のみ場で水遊びをして、人に水がかかりそうになって

お母さんが子どもを叱っていたシーン。

 

「何が悪かったかわかる?」

 

その姿を見て、

私は息子にそう聴いたことがあったかな・・・と振り返りました。

 

子ども自身に考えさせる。

 

「人にかけたらダメでしょ」

「水もったいないでしょ」

「風邪ひくよ」

そう言ってやめさせることは何度もしてきました

 

行動の制限はして、

その理由も伝えました。

でも息子には自分で振り返る、自分で考えるってことをあまりさせてない。

なぜなら・・・なかなか回答が出てこなかったから。

言葉の遅れがあったから。

 

今思うと、それでもいいから、

いやそれだからこそ、

自分の言葉で自分の頭で考える機会を与えることは大事だった、と思います。

そうすれば、対話が生まれ

言葉も育つきっかけになっただろうから。


 

 

幼い頃、母に

「なんで怒られたかよく考えてみなさいっムキー

と言われ、その剣幕に頭が真っ白になって・・・

黙りこくって(心の中で反論して)

その私の姿がさらに母の怒りをかって叱られた記憶。
 

幼い私は時間をおいて自省し、

これからはこうしよう、と決めたんだ。

幼い自分の理論で。

黙ったのも反論すると、100倍になって叱られたからだろうな・・・。

 

きっとそのあと叱られた理由は聴いたはず、

でも自分の中で納得はいってなかった

だから、母が何に怒っていたのか、

残念ながら私の中には残っておらず、

自分でこうだった、と思い込んだことだけが残ってしまった。

 

そういえば、よく母は「どうしてわかってくれなの」と言っていたっけ?

言い聞かせてはくれたけど、お互いに気持ちをぶつけ合うことは避けてしまった。

それは私がだんまりを決め込んでしまったから・・・

 

 

息子との関係もおんなじ気がしました。

もっと対話をして、納得がいくまで話して

「あなたはそう思うんだね」というところまでじっくり向き合う。

 

とはいえ、

言葉の少ない、表情にも出さない彼を理解しようと必死だった私。

あの頃はあれ以上できなかったかもな・・・。

 

だから

ようやく私たち親子は

今それをやっているきがします。

 

じっくり向き合うこと、それを取り戻している。

それぞれの感覚を理解しようとし、

言葉で確認しあい

お互いを理解しようとしている。

 

私も彼の感覚を理解するのに時間がかかった

でも、今は言葉だけでせめることはしなくなったかな。

息子も言葉を理解し、対等に話をしてくれるようになった。

今は怒りや、感情だけでぶつけるのではなく、丁寧に言葉を選び(独特だけど)

伝えてくれるようになった。

 

長い時間がかかって、ようやくスタートに立った気もち。

それはこれからも続くし、もう大丈夫ってことはない。

大切な人との関係を続けたいと思うから

諦めず、対話を繰り返そうと思います。

 

ね、ドラえもん♪