こんにちは、チビユキです。
寒くなってまいりました、
床暖から離れられない寒がりな私です
さて、
私の知人で、視力が0.2以下なのに
普段めがねをしない人がいます。
眼鏡をしないと決めている、らしい。
私自身はド近眼で(0.1以下)眼鏡なしの生活は危ない。日常生活に支障をきたします。
それで、
「えーなんで眼鏡かけないの?大丈夫なの~?」
と軽く聞いてみたところ
「見えないとイロイロ楽なんだよね~
嫌なものは見えない(笑)」
そうなんだ。
目が悪いから眼鏡をかけて
標準に、良く見えるように、と思う私。
よくみえないほうが生活しやすい、
はっきり見えない世界が快適。と思う知人。
見えないことに困っていないのだ。
発達凸凹の息子に私は
「こっちの方がやりやすいから」と
数々のアドバイス(=おせっかい)をしてきた。
できない息子を見て、
先に苦しんでいるのは私だった。
息子自身はまだ苦しんでいない。
なぜなら、
その先に起こることを経験していないから。
でもその経験は私の時と同じようにおこるだろうか?
そして私と同じように息子にとって苦しいだろうか?
苦しかったから。
そういう自分の中のタネが反応する。
出来なかったから、こんなことになって、
あんなことになって・・・。
結果おせっかい。
時代は変わった。
一律な高性能人間の量産社会が
多様を認め始めた。
私たちは一つの形に向かわなくていい。
それぞれでいい
だから、
発達凸凹を苦しくまなくていいかも。
高性能人間だけを目指して苦しまなくてもいいんだよ
実は自分が苦しかった。
だから私はまず自分がそれで苦しんだことを
癒そうと思う。
だから、心配しちゃうんだねって、
心配してあれこれアドバイス(おせっかい)
する自分ももう赦してあげる
もちろん、必要なサポートはある。
でもやり過ぎない。
それは本人に体験をしてもらうため。
私の痛いが、
息子の痛いと同じじゃないかも、だから。
自分で感じて
選び取ってもらおう。
人は同じじゃない。
同じものを作り出す必要もない。
違っていいんだ。
いろいろな人が輝く未来をつくるんだ。
そんなことを思った秋晴れの日でした。