おはようございます、チビユキです。

前回の「2人で会話しているのに、もう一人いるようだった。インナーマザーの話」のつづきです。

 

 

自分の人生に投げやりな言い方をする息子、

まるで自分を諦めたよう。

主体性がない。

 

それは私が

息子の問題に

懸命になればなるほど感じた。

私も母と同じように、

息子のためと

彼自身の問題まで横取りして考え、

喜び、カナシミ、怒ってきたからか。

つまり、一体化・共依存関係になっていたのだ。

 

そこで「子どもの主体性を尊重しよう」と

急に方向転換しても

経験がないものだから子ども本人は決められない。

何かを選ぶということが出来ない。

 

投げやりなんじゃない、

決めて失敗するのが怖いのだ。

失敗から立ち上がった経験が少ないからだ。

 

その姿はまるで自分。

このままでは私と同じAC(アダルトチルドレン)が出来上がってしまう。

それを食い止めたい。

 

 

常に行動を監視され、間違えると

「ほら、やっぱり(失敗したでしょ)」

と鬼の首をとったみたいに言われた。嫌だった。

 

上手くいったら母のおかげだった。嫌だった。

勝手に決めないで。

私の感情を感じないで。

私をもっていかないで。

私が私を感じきれないじゃない・・・。

 

それが、未消化の感情、

フェルトセンスとして、

自分の中にたまっていったものだった。

 

 

何故そうなるのか・・・。

母は

「娘の人生を生きようとしたから」。

娘が自分より何より大切だから。

では誰が母の人生を生きるのか?

 

母は自分がカラッポで、私の中にいる。

私の中には母がいて、私は自分を明け渡し、

息子の中に入り込もうとしている。

これが連鎖の構図ではないか。

 

そして母はいつも愛に飢えていた。

私もまた同じだった。

 

 

インナーマザー、心の中の母の声。

母が愛情と、子どものためにと、

やっていたこと、

それが”支配”になってしまった。

それは、子どもの人生を狂わせてしまうこと。

乗っ取りだ。

やってはいけないことなのだ。

その事実を認めること。

 

まず、ここから出発する。

 

 

すると、

「母を憎んでいる?」という罪悪感で

動け無かった私が、

間違っていたことをやり直す

という前向きな気持ちになっていった。

 

否定と支配のその声を小さくしていく。

自分の声を聴いていく。

それが自分を大切にすることであり、

自分と繋がることであり、

主体的に生きること。

そして私が母として子どもに伝えたいこと。

 

そのためにインナーチャイルドの声を、

未消化の感情を聞いていく。

今までに数々の学びがあった。

私は私を救いたくて、ここにたどり着いたのだ。

ようやく私は育児育自のスタートラインにたったのだ。

 

あとは行動あるのみ。

 

カウンセリングでの

「星子さん」との出会いから、

私は癒され、

母なる声は小さくなっていった。

 

更に「星子さん」の力をかりて、

私は自分のなりたい自分を再構築していくために、

身体に聴いていく。

そして、自分の幹を埋めていく。

 

 

 

つづく