おはようございま~す!
久々の朝投稿👏
一昨日の続きです。
「どうしてそう思ったの?」と深堀りしていったら・・・
のお話です。
私は子どもの「なんでどうして」
をきくのが楽しい。
だから、
保育の世界でその好きなことをやってます。
そもそも。
気になったもの、感じたもの、
好きなもの、気づいたものの中に
自分らしさがある。
だからそれを深堀していけば、
自分の真が見えてくる。
なんで好きなの?なんで気になるの?
なんで?どうして?
自分との対話はだから必要。
肯定も否定もせず、「へー、そーなんだ」と
ただただ聴く。
そして自分は何者なのか、を知る。
このプロセスこそ、
他人とのコミュニケーションの原点ではないか?
と思うのデス。
そして、そのパターンを構築する上で
大切なのは幼少期の養育者(主に母親)とのやりとり。
「ねえ、きいて~」「何々?」
「へえ~そうなんだ~よかったんだ~(大変だったんだ~)」
子どもの気になるに興味を持ってみる。
肯定も否定もせず、「へーそーなんだ」と
ただただ聴く。
笑顔で、寄り添い、共に感じる。
なんでもないようなやりとり。
だけど、すごく大事。
伝えたことから、理解・共有でおきた喜びを感じ、
それが次の聞いて欲しいへとつながる。
そのパターンの繰り返しが
自己理解・他者理解へと繋がる。
私はそのどちらもしてこなかったな。
自分との対話。
なぜなら、自分が注意力散漫だから。
どうして?
と自分に聞く前に次の興味に頭を支配される・・・。
次々視界に飛び込むものに、興味が移って、
対話がないまま・・・。
それは私のクセ。残念っ
そして養育者とのやり取り。
幼き頃自分の「好き」が、
母の希望と合わなかった。
それ、だめ、嫌い。
勉強と関係ない。
役に立たない、
意味ない。
当然どうして好きなの?
なんて聞かれなかった。
ざあんねんっ
今なら言える
「意味があるかないかは自分が決める、
自分しかしらない」
だから、
私は、保育の道に入り、
子どもたちから学び
自分との対話を取り返すべく、
なんでなんで~をやっているのかもしれない
と思うのデス
こどもたちに教わっている
偉そうにいってますが
実は第一子の子育てでは気づかなかった。
自分がこのプロセスを踏んでこなかったことに
気づけなかった。
ゆえに、愛という名のコントロールを随分してしまった。
そして、彼自身の「自分との対話」を
待ってあげられなかった。
でも、今からでも遅くなーい❗️
子どもも自分も育てなおし。
へぇーそーなんだ。
どーして、そう思った~?
って、夜な夜な。(息子夜型なので😅)
だから
今日も私は自分のなんで?を
ことあるごとに聴いていきます。
たっぷり話して
聞いて、
自分の思いを大事にしてあげます。
人間は生涯成長する生物!
ファイト✊
皆さまも大切なご自分と、
素敵な一日を