動物の霊魂は、単純に輪廻転生している存在であると考えられる。動物の生命の役割は定まっているからだ(人間と共に生きるペットの場合は、少し異なってくる可能性がある)。
人間の霊魂は、神を発見し、宗教を確立したことで、輪廻転生といってもとても複雑になっている。それは、地球上に生命が誕生してから5億6千万年もの進化の過程の中で人間だけが霊界を獲得している存在だからである。2000万年前の人類の祖先だった類人猿は、霊界を獲得していなかった。他の動物たちと変わりない存在だったからだ。約20万年前の解剖学的現生人類(ホモ・サピエンス)においても同様であっただろう。人類が霊界を獲得したのは、せいぜい数千年前に過ぎないと考えられるのだ。
動物は前世を反省する必要は殆ど無いが、人間の場合は反省する必要がある。輪廻転生のシステムが動物とは異なってきたのである。人間の場合は、死後、霊界へ行き反省の時を経なくてはいけない。そこからは、動物と同様に転生する魂と、さらに上の次元へ上昇する転生しない魂とに分かれてくる。
生きている人間の周りの空間には、霊界へ行くことを拒んだ悪霊(いずれ消滅する魂)がウヨウヨいることから、使命を持って人間の周りで生きている人間たちを導こうと天使を務める者もいる。この霊魂は、その使命を果たすことで、さらに上の次元へと上昇するのである。
生物には、異常発生のような現象があり、人間の場合も、ここ100年で人口が50億人も増えている。こうなると、霊魂の転生とは、1つの霊魂が1つの個体に転生するだけでなく、1つの霊魂が数個体に転生することが考えられる。でないと霊魂の数が合わないことになるからだ。つまり、新たに生まれて来る個体に入って来る霊魂は、新たなるものではなく過去世を持っている存在ということになる。
この場合、過去世というのはあくまで生命システムの問題であって、さほど留意するべきことではないのである。それは、過去に心を向けるのではなく、今に心を向けるべきだからだ。というのは、生まれ変わりに関しては、動物同様に生まれ変わる者と、人間ゆえに新たに獲得された〈そうでない者〉とに分かれてくるゆえ、今世の生き方がとても重要となってくるからである。それゆえ「人生一度限り」と考えてポジティブに生きることの方が優れているのである。今の人生をくずのようなものにしてしまうか、価値ある宝物に変えるかは、その人の生き方次第なのである。
差別的かつ民族主義的な原始宗教を平等の精神に基づく高度な世界宗教へと高めたブッダやイエス・キリストは、その点を強調しているのである。
※この文章は、あくまで私の立てた仮説ゆえ、正しいとは限りません。今後、変わってくる可能性大なのです。ですから、「わからない」ことは「わからない」で処理し、決めつけないで欲しいと願います。