◯◯活って、「活」の方じゃなくて、トータルで4音になってることが、ことばとして廃れないってことのキモなのかな〜(唐突)。


 誰に話すでもないあれこれのことどもに、勝手に名前をつけて遊ぶという、まぁおよそ大人らしからぬ趣味があることはブログ内ではちょこちょこ触れてきた(ソプラニスタの岡本知高さんが、あの堂々たる体躯を包む、オブジェにも似たステージ衣装たちにそれぞれ名前をつけている…となにかで見聞きして「あ、おんなじことしてる人いる」と思った…って話もここでしてますよねぇ←なにしろ9年もブログ書きしていると、どうしても既出ネタは増えるわけよ)。


 で、ボン活である。

 盆栽の「ぼん」でもなければ、盆踊りの「ぼん」でもない。

 この「ボン」はあくまでかたかな(或いはアルファベット表記)。理由があるのでね。



 年明けの◯◯チャートの話、先日触れたとおり年明け早々話題にしておりましたね、本日をもちまして都合3回めか。これは、ネタがない…ではなく、新年の計画として列挙したことどもが広汎かつ膨大で、なおかつ「計画(或いは目標)であるからして自ずと日常に即した話題としてふれることになる、と。


 今年こそ読む観る、と目標立てたのです。

 未読本が積み上がる現状でこれ以上紙ベースの書籍を増やすまいぞ少なくとも棚の未読本をなんとかするまでは、と何年思っているやら(そして何年果たせていないやら)。


 昨夏、買い集めたコミックスを手放したことを始め隙あらば物量を減らそうとしているなかで、書籍に加え未見円盤(HDD積ん録の方はもう諦めた)については如何ともしがたく、市販品はもとよりテレビ放映された映画作品の未見分ときたらちょっとした小山が積み上がるレベルでして。


 気持ちではなく仕組みから。

 週に一度は未見円盤を再生する、と枠組みを決めた。土曜早朝を「超ファーストショー」と名付け、とにかくなにかを再生する時間にした。

 1月下旬に始めてからというもの、毎週とは流石にいえないものの八割がた実施できていると思う。


 最初に手を伸ばしたのは、世界的評価を誇る有名アニメ映画監督の諸作品。

 そう、ナ◯◯カもラ◯◯タも見ないままに20世紀を終えたのですワタクシは。ナ◯シ◯(伏せ字とは)に至っては公開からまるまる四十年の時を経ての初見でござんすよ。

 

 一般教養というには大袈裟だけど、社会的同意(或いは合意)が形成されているカルチャーとは、ほぼほぼ無縁の20代30代を過ごした。

 合意もへちゃもブチ抜くような、まさしく時代のヒーローのようなアスリートを推すという初めての経験は、40代になってからのことだった。

 同世代の共通言語のようなカルチャー体験が異様に乏しいことは当時から感じていたけれど特段それに困ることもなく過ごしてきたものの、折々に触れて「さすがに知っておかないとアレなのかしら」と手を伸ばしこそすれ、実際に見聞きするには至らず。


 見てみてわかった。

 見てこなかったものは、自分にとっての重要度はそういうことだ、ってことなんだな…と(ごめんなさいね世界の巨匠を向こうに回してこのいいぐさ)。ブログでも一切言及しなかったし、今後もしないと思う(何度も言いますがお互いのためです)。



 もうおわかりですね?


 ボン活の「ボン」はつまりジェームズ・ボンド。

 007シリーズを観ることを称して「ボン活」。馬鹿っぽい響きも含めてそこそこに本質的な略語になったわいと誰に知らせるでもなく作ったことばを口の端にのぼらせて内心ニヤついているわけです(苦笑)。


 調べてみると、2018年のことだった。

 わうわうさんが、「007全24作(当時)一挙放映!」という企画を打ってくれましてね。しかも字幕版。第1作「ドクター・ノオ」から当時の最新作「スペクター」に至るまで全て録画し、Blu-rayに落としましたの。当時、父にも「007全部あるよ!」なぁんて話をしたものだった。

 生前、父とボンドの話なんてしたこともなかったのに。父が若いころの…つまり娯楽がうんと限られていた頃の、ひとつの記号的存在が「007」であり、父は「ゼロゼロセブン」と呼んでいた。

 娘は「ダブルオーセブン」と呼んだ。

 おそらく父にとってのボンドはショーン・コネリーであったことだろう。見もしない映画のことを話題にするのは今に始まったことじゃなく、新ボンドは誰それで、なぁんてことを話しもした。

 24作録画したときも「いつでも見せてあげる!」って言っておきながら、結局円盤1枚持ち帰りゃしなかった。孝行をしたいときには親はなし、ってほんとなんだな。ボンド話、したかったな。





 a-haの「リビング・デイライツ」がテーマソングになっている、というところで初めて007を認識したのかもしれない。1987年12月公開ですってよ。


 マドンナだとかサム・スミスだとか、音楽的関心と、現ボンドであるところのダニエル・クレイグの佇まいと、のひっかかりをツテにして見始めましたよ「007」シリーズ。




 第1作は1963年公開。

…ほんっっっとに、当時の娯楽って限られていたんですね!(言い方)

「ドクター・ノオ」を見て「ロシアより愛を込めて」を見て「ゴールドフィンガー」を見て…。


 ダ…ダニエル・クレイグまでが遠すぎる!

 順番に見ろと誰からも強いられているわけではないのに、半ば意地になって(ヤケになって、ともいう・笑)、007シリーズを毎週のように見ている…。娯楽大作ってこういうことか〜エンタテインメントってこういうことか〜ってね。男の夢か理想か幻か、とにかくツッコミどころしかないんだけど(言い方)、見続けている。


 今のところ3代目=ロジャー・ムーアボンドも残りわずか、「オクトパシー」までは見たので、昨年公開の最新作「ノー・タイム・トゥ・ダイ」を含めても折り返し地点にはたどり着いた(なんの修行か)。


 先週はヘアメンテを朝イチで入れてボン活休み、でもって今週からもしばらく滞る…かなぁ。

 ロジャーおじさんとのんきに遊んでいられなくなってきたのだ、あれこれ立て込んできて。

 いえね、そんな多忙とか寝る暇も無いとかじゃないんですよ?優先順位の問題。他にすることがわんさかあるところでするほどのものでもないでしょうよボン活、って話。


 年内にはダニエルボンドまでたどり着くわ〜!