これまた何度も書いていることですが。
  記事は、書き溜めも下書きもしません。
  思いついた時に思いついたことを書く。
  メモも下書きもしていないけれど書きたいと思っている内容はいくつもあって、それを明文化してまでリストアップはしないけれど、リストアップせずしてなお書きたいことこそが、ほんとうに書きたいことだと思っていたりします。



  あっちゃんの笑顔は、魔王の仮面の下にひた隠しにしている天使がついはみ出ちゃうからあんなにきゅうラブとさせられるのだ…てなことを先日書いたので、やっとこの曲の話をするタイミングなんだなと。







ばん。










ばばん。


  PIXYが好きなんだよ〜!



  今井さんが「voo doo」に関して「自分パロディじゃないけど」との表現であっちゃんの詞に言及していて(といってもリアルタイムでこの発言をチェックできてはおらず「今井寿bot」さまに拠れば…なんですが滝汗)、PIXYも実はそういう曲かな〜なんて思っちゃったりなんだったり。



  最初に聴いたときから、曲も歌詞も非常に好きで。
  イントロからして…なんていうのかな〜。

  夜の森を抜けた向こうに隠れた湖があって、木の間からそっと覗くと、イルミネーションがかったような碧い星の瞬きがその水面に降り注ぐのが見えるような…まぁ平たくいえば「浮遊感」ってやつなんですが。
  その浮遊感と、リズム隊のベキベキしてる感じのコントラストがたまらない。
  ほらメメモリとかHYPER LOVEのタイコが大好物なものですから(笑)。
  イントロから延々と続くベースもひっじょおおおに好き。


  スペイシーな浮遊感と、プリミティブな…淑やかさと獰猛さが同居する感じがぞわぞわくる(いい意味で)。


  今井さんは「音楽的ルーツとしてのニューウェーブ」への言及を度々なさいますが、ヒデだっていい勝負だよなぁ…と「PIXY」なんかを聴くと思ってしまうわけです。
  じゃあオマエが思うニューウェーブとはなんぞや、と問われると答えに詰まってしまうのだけれど(汗



  そろそろ歌詞についても…。
  
冒頭から

僕は悪魔じゃない まるで天使さ

って歌って許されるのは音楽界広しといえど櫻井敦司をおいて他には存在しな〜い!←断言(二番の
「奴は天使じゃない まるで悪魔さ」もね…)




  で、この後に続く
「はねをふるわせ」の「はね」に

   

をあてるあっちゃんの言語感覚が好きだ!

「PIXY」というタイトルありきで書いた歌詞なのか(ヒデ曲だからそれはないか笑)、はたまた曲からの連想なのか。

  「翅」の字は、続くフレーズの「鱗粉」と矛盾なく連なって、小さきものをイメージさせる。


 一番で

  光る 鱗粉狂わせ



 と歌う箇所で二番にあてられた歌詞は

 
  秘密 破滅絡ませ


…。


  ひみつはめつからませ


ラブラブラブラブラブ

あの声であのメロディでこんなふうに歌われてごらんなさいよ、ああああああ!ってなるから!(←分析的表現での記述は放棄したらしいブログ主)

  あっちゃんの言語感覚というか音韻感覚については、また機会を改めて言及することになると思いますが、こういうところが好きなんだよなぁと思ってしまう。

  目で見て字面として受け取る印象と、メロディに乗って音として歌われる印象とをものすごく考えて構築しているんだろうなぁって…やっぱりプロなんだな〜って。



  どういうわけか、この曲を聴くとあっちゃんの大好きなISSAYさん率いる(で合ってますか?) Der Zibetを連想してしまう。
 そこまで聴いていないというのになDer Zibet。

 いささか釈迦に説法めきますが、かつて2人のコラボレーションによって生み出された楽曲「マスカレード」については、なんとかどうにか耳にした方が良かろうと思われます。
  頽廃と妖艶の紫煙に絡め取られて倒れそうになるから!笑(実際、車中でシャッフル再生していて「マスカレード」流れるとカッコ良すぎて運転の妨げになってしまうことが…滝汗)



  逃げも隠れもしない今井スキーとして、今井さん作詞作曲の曲についてはこれまでちょいちょい偏愛撒き散らし記事を綴ってきたんだけど…。

  このブログであっちゃんの歌詞について偏愛を(←変態ではない)叫んでいるのは、どうもヒデ曲に偏りがちであるというかなんというか…。「曼珠沙華」しかり「螺旋 虫」しかり。

  この先記事を書きたいなぁと思っているあの曲もこの曲もヒデ曲。

  星野リゾートで溪谷に落下する日も近いのかなぁ…。