昭和40年11月24日、復活したインターナショナル選手権の争奪戦決定戦、日本代表ジャイアント馬場と米国代表ディック・ザ・ブルーザーとの間で争われました。

その時の新聞です。

ブルーザーはこの時が初来日、スコアが1本目、2本目ともに反則で馬場さんがタイトルを獲得しました。

3日後にリターンマッチ(再戦)が行われることは前もって決定していたのですが、まさかそれを計算して暴れに暴れたブルーザー。

当然テレビ放映があったと思うのですが、残念ながらまだプロレスに興味をもってなかった頃ですので、見ていません。

新聞の見出しが双方とも「馬場世界一」というのが何とも素敵ですね。

昔「うちのパパは世界一」というフレーズのコマーシャルソングがあったと思うのですが、それをもじって「うちの馬場は世界一」。