"怒涛の怪力"と呼ばれたストロング小林選手が、昨年の12月に亡くなられたそうです(享年81歳)

ボデービル出身から国際プロレスに入門。

国際での最初の戴冠はバディ・コルトから奪ったUSAヘビー級選手権、その後はIWA世界ヘビー級、IWA世界タッグを獲得し、一時は国際のエースとして活躍しました。

昭和49年フリーとなり、アントニオ猪木とのシングル対決は当時のプロレスファンを沸かせたことは有名ですね。

敗れたものの存在感を発揮し、同年12月に再戦を果たしましたがこれにも敗れ、翌年から新日本プロレスに正式に入団し、藤波の台頭するまでナンバー3の立場で活躍しました。

以降はテレビのバラエティ番組や、映画に出演したりして多芸な面を見せました。

 

写真は昭和50年5月6日、広島県立体育館で行われた、第2回ワールドリーグ戦公式戦30分1本勝負でのアントニオ猪木戦のものです。

結果はフルタイム戦って時間切れ引分けでした。

この頃はまだリングサイドで写真を撮っても何も言われない、良い時代でした。

余談ながら、この時写真を撮っていた私の姿が、プロボクかゴングに写っていたんですよ。