2ヶ月前の9月5日、
妊婦健診で子宮内胎児死亡がわかりました。
楽しみにしていた1ヶ月ぶりの健診で、
どん底に突き落とされ、
処置、お産、届出、火葬と怒涛の1週間でした。



あれから2ヶ月。

身体はほぼ元どおりになりました。
産後休暇が8週なのも意味があるように思えます。
週末は、家族で旅行にも行けました。

人と会う時の「何もなかったふり」も上手になりました。
一方で、涙を流さずに死産のことを話すこともできるようになりました。

表向きはもう普通に暮らせていると思います。



でも。

街ですれ違う人がゆったりした服を着ていると、
マタニティマークをつけていないか探してしまいます。
妊婦さんと勘違いして
席を譲ろうとしたこともありました。

妊婦さんとわかってどうするのか、どうなるのか、
自分でもよくわからないのに。


もう一度授かりたいと思うのがどこから来てるのか、
自分でもはっきりはしません。
まだ夫婦の足並みも揃っていません。

妊娠や卵子の老化、染色体異常などの書籍を読み漁っています。
それで何が得られるのかわからないけど、
そうせずにはいられないんだと思います。

2,3%の後期流産に自分が当てはまってしまったことをどう捉えればいいのか、
もちろん「たまたま」以上の説明はないとわかってはいますが、
まだ答えは出ていません。


何かの本で、
どんな辛いことでも、起こってしまったことを経験する前の自分には戻れない
それを経験した自分として抱えて生きていくしかない
という文面が目に留まりました。

今の私は、死産を乗り越えられたのかはわかりません。
でも、
子どもの命は絶えてしまったけど
私は生きている。
夫や長女、家族も一緒に生きてくれる。
死産したことを抱えながら生きていると言うことはできると思います。


いつか穏やかに思い出せる日が来ることを願って、
1日1日前に進もうと思います。
一休みもしながら。