ちゃーこが病気になってから…
実は、私はずっと「泣けないママ」でした。
哀しいけれど、
思い切り泣くことができずにいました。
大切な大切な娘が余命1年と宣告されても…
死亡宣告されても…
喪儀のときも…
その後、2年経っても…
涙が頬を伝うことはあっても。
しゃくりあげて泣いたり、嗚咽しながら泣いたり。
声を上げて泣く…
というレベルで泣くことはできませんでした。
泣くことが
怖くてできずにいたのです。
そして、私は、いつの頃からか、
ちゃーこのことを考えることを避けている
自分すらいました。
それこそ、
仕事以外は引きこもって誰にも会えずにいたけど。
仕事では何もなかったかのように
元気に振る舞っている自分。
何も知らないスタッフや利用者さんからは…
「いつも元気よね。」「きっと明るい家庭でしょ。」
なんて言われていた...
私は冷たいママだ。
やっぱり私は最低の人間だ。
そんな自分がとても嫌でした。
ちゃーこがお空に帰って2年が経った頃…
息子も不登校になって、
ついに、自分が壊れました。
私自身の身体が悲鳴を上げてしまいました。
そんな時に、
グリーフケアの学びと出会ったのです。
学び始めて半年近くだったかなぁ…?!
講座の中で
ちゃーこの死別経験を語る場面がありました。
その時…
初めてボロボロボロボロと涙が溢れてきて、
言葉に詰まり
話が続けられなくなりました…
そんな私の話を、
ただ黙って聞いてもらえたこと、
涙で話せなくても、ありのままの私を
大切に受け止めてくれたこと。
哀しみに共感してくれたこと。
画面越しでも、
時を共にして、心も共に居てくれたことが…
ものすごく大きな安心感だったことを
覚えています。
だから、
私は誰にも言えずに居た気持ちを、
初めて話すことができたし、
涙を流すことができたのです。
グリーフを学んだ今、やっと理解できました。
泣けないのは…
哀しみが大きすぎて
向き合うことができないから。
泣いて自分が壊れてしまいそうで
怖かったのは…
自分を保てないほど
とても大きな哀しみだから。
私は冷たいダメなママじゃなかったんだ。。。
自分を守るために、
あえて哀しみから逃げなくてはならなかった。
それくらい、
辛かった、苦しかった、怖かった。。。
自分が壊れてしまいそうだったのを
なんとか、
保とうと必死だったんだ。。。
そして、
哀しみを感じることも苦しいけれど…
「哀しみをなかったこと」にしてしまうことはもっと苦しい!
やっと気が付きました。
私はグリーフケアに出会えて、
自分の気持を感じることができるようになりました。
「哀しみ」という心の傷と上手に付き合っていくには、
まずは自分の心の状態を知ること。
大切に自分の心の傷の痛みや状態をみながら、
丁寧に丁寧に
扱ってケアしてあげること。
哀しみに浸る時間、哀しみから気を反らせる時間。
その両方が必要。
だからこそ、
安心して自分の気持を語れること、
涙を自然に流すことが出来ること…
それは
哀しみをそっと横に置くことができる
「居場所」になる。
話を静かに大切に聞いてもらえる存在は、
自分の哀しみの「同行者」だということ。。。
それは
とても心強いことなんだなと…身を持って知ることができました。
追記
グリーフ反応は人それぞれです。
私みたいに泣けない人もいるし、
そうではない人もいる。
でも、根底にあるのは、
みんな「哀しみ=愛」の気持ちです。
哀しみむに足る、大切なものを知っている証
だから、
哀しみを排除しないで、
「哀しみの居場所」を作ってあげることが大切なのです