なかなか闘病記がすすまず
書きたいことはたくさんあるんだけどなキョロキョロ
 
 
昨日は闘病中にお世話になった
「難病の子どもとその家族に夢を」さんの
協力のもと、
訪問看護ステーション「ダイジョウブ」の
皆様に
ちゃーこが教えてくれたことについて、
お話をさせて頂きましたピンク薔薇
 
嬉しいことに
お兄ちゃんも頑張って、みんなの前で作文と日記を読んでくれましたチョキ
 
「難病の子どもとその家族に夢を」さんには
闘病中から本当にお世話になって
たくさん支えていただいて流れ星
 
 
旅立った後もずっと見守ってくださってて…
「共に闘ってくれた仲間」です!
 
 
いつも私の気持ちをたくさん聴いていただいてましたえーんラブラブ
 
 
 
 
スタッフの方の
 
「子供の死をタブー視したくない。」
「その命の意味を伝えていきたい。」
 
そんな熱い思いと
 
「ちゃーこが教えてくれたことを伝えたい」
「悲しいだけの死では終わらせない」
 
 
そんな私の思いが重なって、今回の企画が実現できました。
 
ホントに私の小さな1歩ですがアセアセ
 
 
 
 
 
 
ちゃーこが病気になってしまって、私が改めて向き合ったトラウマがあります。
 
 
私が看護師4年目のとき、
急性心筋炎で救急搬送され、わずか数週間で
旅立ってしまった、
5年生の女の子のご家族に言われた一言。
 
 
 
「この子の生きたいという気持ちを最後までわかってもらえなかった。」
 
 
 
そうなんです。。。
私は患者さんの気持ちを理解してあげれなかったダメな看護師でした。
 
まだ家族がいない私には、
大切な子供を失うという辛い辛い気持ちは、
分かるはずがないのです。
 
だけど、
私は精一杯のことをやってきたつもりでした。
先輩Nsに相談したり、Drにも相談したり。
毎日、必死でした。
 
 
けど…
 
本当の意味で、お互いに分かり合えなかったんですね。
 
 
ものすごい挫折を味わいましたガーン
 
 
 
しかし
 
ちゃーこが私にトラウマと再び向き合うチャンスをくれました星
 
 
今になって、そのときの挫折をやっと乗り越えて、自分自身がstep upすることができたように思います。
 
 
 
「人を思いやるココロ」本当の意味でその大切さが分かったように思いますグッ
 
 
 
 
そして、私たちは陽子線治療を受けるために
家族が離れ離れになって
生活したこともありました。
 
 
 
そのときに感じた「家族」という存在の大きさ。
 
 
 
闘病を通じてずっと考えていた
「幸せってなんだろう」
ということ。
 
 
そんなことを、私なりに考えてみました。
 
 
 
私だけの力だと、どーしても
くら〜いガーン闘病記」
なんだけどダウン
 
 
HOPE&WISHの方のアドバイスがはいると
 
前向きなお話し花束
 
になるから不思議ですチョキ
 
 
 
けど。。。えーん
 
 
  私、人前で話すことに全く慣れてなくてゲロー
 
 
 
  さらに。
 
始まる前にランチに入ったラーメン屋で
4、5歳くらいの男の子が店内で無邪気に
はしゃいでいて。
まるで、ちゃーこのようでしたタラー
 
そして、その後に出会ったカワイイ女の子は
お洋服とか持っているお人形さんが
ちゃーこと重なりガーン
 
 
始まる前から、私の涙腺は崩壊寸前ギザギザ
 
 
まぁ結果は言うまでもなく笑い泣き
 
 
あちこちに、涙腺崩壊の地雷があるので困りますドクロドクロドクロドクロドクロドクロドクロドクロ
 
 
私のトークが終わり、パパが。。。
「妻はこういう場所に慣れてなくて。お聞き苦しいい箇所が。。。」
 
なんて言うもんだからハッ
私の達成感は半減しましたよムカムカ
 
 
 
 
まぁいいです。
ママがダメでも、お兄ちゃんが上手にできたならそれでいいんですガーン
 
これが、私の小さな初めの一歩ですOK
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
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