双子を21週で亡くし、だけどなんとか、

双子のいた記録を、

自分の気持ちを残したいと思い

すこしでも早くブログを更新しようと思っていたのですが

 

 

1ヶ月ほど前、友人が亡くなりました。

 

 

私が新卒で入った会社の同期で

全国各地から上京した同期は結束が強く、

仕事終わりに飲みにいったり、

週末も毎週のように一緒に遊ぶ仲でした。

 

長期の休みには沖縄にも行った。

宮城にも、山形にも、石川にも、茨城にも、群馬にも

長野、新潟、静岡、千葉、きっともっともっと。

 

 

私は仕事を10年も前にやめて北海道に今いますが

やっぱりこの頃の友達はかけがえのない友達なのです。

 

 

友人は自分で命を絶ったようです。

 

 

思えば数か月前、友人がSNSに投稿していたつぶやき

「メンタルがやばい。発散したいけどコロナがそれを赦してくれない。」

 

そんな感じの投稿でした。

 

 

そんな投稿を見ていたけれど、

自分も双子の妊娠中でいっぱいいっぱいで、

近くにはいないし会うこともできないしと

コメントをしようか迷ったけどしなかったのを覚えています。

 

 

周りの友人は、

力になれなかった事の後悔や

どうして相談してくれなかったんだろう

一瞬でも自分たちがいることを思い出してほしかった

そんな風に思ったみたいです。

 

 

でもあんな形で双子を亡くしたばかりの私は、

苦しくて苦しくてどうしようもないけど、

周りに話せなかった気持ち。

 

皆のことを思い出さなかったわけではない。

だけどコロナ渦で、気軽に会ったりできない世の中で、

苦しいことを苦しいと誰にも言えなくて更に苦しくなる気持ち。

 

SNSでふいに投稿してしまった気持ち。

それが精いっぱいだった気持ち。

 

 

そんな気持ちがわかるような気がしてしまって

勝手に自分の気持ちと重ねてしまって

 

 

私は苦しいとか痛いとか怖いとか

そうゆうことがすごく恐怖だから、死ぬ勇気もないし

なにより最愛の息子がいるから、絶対にそんなことはしないけど、

 

 

だけど独身の友人がそうしてしまった気持ちが

全く理解できないわけではなくて

 

1ヶ月の間に、自分のお腹の子たちと友人、

全く別の出来事なのに、

”死と向き合う”ということが2度も起きて

正直受け入れられずにいます・・・

 

 

友人の最後のお見送りも、

本当は行きたかったけれど、

 

もう妊娠中ではないし、母乳をあげないといけない赤ちゃんもいない。

 

自分の身一つなんだから行けたはずなのに。

 

北海道と関東を一人で往復するには

産後3週間の私は身も心もボロボロすぎて、

どうやって帰ってきたらよいかわからなくて、

 

息子を置いていくのが難しいとか

コロナ渦で緊急事態宣言が出ているのを理由にして

行くのをやめてしまいました。

 

 

最後に会わなかったからか

ずっと引っかかったままで、毎日眠れなくて、

双子を思い出すと友人も思い出すし、

友人を思い出すと妊娠中の気持ちを思いだす。

 

 

友人の死と

私が双子を亡くしたことは

全く別の出来事なのに繋がってしまう。

 

 

生きたかったのに生きられなかった双子。

生きるのを自分でやめてしまった友人。

ただ泣くこと以外、なにもできない私。

 

 

 

 

友人のどうしようもなかった気持ちも理解できるけれど、

やっぱり友人にも親がいて、

大切に大切に守ってきた自分の子供が、

自分で死を選ぶことほど辛いことはないと、そう思うから。

 

 

どうかどうか

友人のような選択をする人が

一人でも思いとどまってくれる世の中になってほしい。

 

あなたが居なくなることで、

苦しむ人たちがいることを思い出してほしい。