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心が変わると世界が変わる

心が変わると世界が変わると言われますが、

なるほどなあと思う話を聞きました。



ある町がありました。

一人の旅人がその町にやってきました。

町の入り口の門のところに一人の老人が座っていました。

旅人は聞きます。

「おじいさん、この町はどんな町?」

おじいさんは聞きます。

「あなたが今までいた町はどんな町でしたか?」

旅人は答えました。

「いやあ、前にいた町は嫌な人ばかりでろくな町じゃなかったよ」

「そうですか、この町もあなたが前にいた町と同じ町です」


また別の旅人が来る。

「おじいさん、この町はいったいどんな町ですか?」

おじいさんは聞く。

「あなたがこの前にいた町はどんな町でしたか?」

「私が今までいた町は、すばらしい町で、人々は親切で、

あんなによい町はありませんでした。」

「そうですか、この町もあなたが前にいた町と同じ町です」



実は、二人の旅人が来たのは同じ町です。

しかし、心が違うから、町も変わるということですから

心に、目を向けることが大切なのですね。

回りの人に感謝して、

自分の出来る親切を精一杯してゆきたいと思います。

溶けないソフトクリーム

◇◆---- ┃ニュース┃ ----------------- ┃溶けないソフトクリーム┃ --------------◆◇ 日本海藻食品研究所が、金沢大学教授と共同開発した「おからペースト」を使用した、 パンやスイーツなどを販売するアンテナショップ「ヘルシーラボ」を本社隣にオープンしで3カ月が過ぎた。  開発したペースト「おからda元気」は、豆腐を製造する際に大量に廃棄処分されるおからを特殊製法でペースト化したもので、 おから本来の栄養分は残しながらカロリーを3分の1に抑え、保存も可能にした。 さらに同店では、「佛子園」(白山市)の協力を得ておからパンを製造するなど、「健康」「美」「エコ」「福祉」をキーワードに、 おからの幅広い使い方を発信している。  「溶けないソフトクリーム」(350円)は、おからペーストと米粉を配合することで、常温で1時間放置しても溶けず、 できたての姿をキープするもの。「甘さ控えめのさっぱり味」(同店)で、時間を追うごとに食感が変化する。 オープン後、「不思議」「子どもに食べさせやすい」と話題を集め、ソフトクリーム目当てに幅広い客層も来店するという。  そのほか、おからペーストを配合したドーナツ、ハンバーグ、コロッケ、フランクフルトなどの商品も多数販売。 低カロリーの「おから麺」を用いた「ラボサラ」も近日中に店頭に並ぶ予定。  同社営業部の内田涼人さんは「当社がこれまで培ってきた研究開発のノウハウを生かし、世の中にない新しいものを作り出していきたい」と意欲をみせる。 【金沢経済新聞】 時間を追うごとに、味が変わる!!! ぜひ、食べてみたいですね(@^^)/~~~ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★━━━…‥・ ■名歌を味わう■ ・‥…━━━★ 「省みよ 日に幾度も 省みよ 欲と怒りの 絶え間なければ」 “ねえねえ、知ってる知ってる?” こんなヒソヒソ話から始まるスキャンダル話。 根掘り葉掘り、延々と続くのは、面白がっているからだ。 人の不幸にニヤリとする、恐ろしい蛇のような心だろう。 我彼ともに口に悪を造り、心に悪を抱かせるから、こんな場には背を向けて遠ざかるべきだ。 スペインの格言にもある。 『あなたにゴシップを伝える者は、  あなたについてのゴシップを流す。』 自戒すべきこと。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

元禄時代

◇◆---- ┃雑学┃ ----------------- ┃元禄時代┃ --------------◆◇ 元禄時代、東京都中野区は東京ドーム20個分の犬小屋があった。 その犬小屋は「中野の犬屋敷」と呼ばれている。 「犬公方」の異名を持つ徳川綱吉(1646-1709)が1695年に設置した。 その犬屋敷は現代の場所で言うと、東は環状七号線、西はなかのZERO、南は大久保通り、北は早稲田通りまであった。 その敷地面積は最盛期で30万坪。その中には8万数千頭の犬が住んでいました。 その犬屋敷には囲いがあり、犬小屋、日よけ場、餌場、仔犬養育場などに分けられていました。 中野区役所には犬囲い跡を伝える犬像があります。ちなみにこの区役所がある中野4丁目の旧名は「囲町」。 綱吉の生類憐れみの令により、庶民が犬を飼わなくなり、野良犬が急激に増えたため、この犬屋敷が作られました。 生類憐れみの令はとても厳しいです。犬を蹴って島流し。猪を食って流刑。蚊を殺して切腹。雀を殺して打ち首。 綱吉が死んだら早速この法令は廃止されました。犬小屋も撤去。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★━━━…‥・ ■先哲ファイル■ ・‥…━━━★ 「この世をば わが世とぞ思う 望月の かけたることも なしと思へば」(藤原道長) 平安時代の中期、藤原氏による摂関政治の頂点に立ったのが藤原道長です。 30年間、絶対権力の座にあり、わが世の春を謳歌した男でしたが、栄耀栄華のウラにも、すでに無常の影がつきまとっていました。 晩年になると、娘の寛子、嬉子、妍子が相ついで死に、彰子は出家、彼自身も、ひどい糖尿病から視力障害を起こしています。 道長にとって最も恐ろしいのは我が身の死でした。 果たして、自分は極楽往生できるのか。不安はつのるばかり。 ついに名を行観と改め、仏道生活に入っています。 往生極楽の願望から、木像の阿弥陀如来の手に結んだ、赤青黄白黒の五色の糸に、必死にすがりついたほどでした。 最後は、背中にできた乳房ほどのできものに、医師が針を刺して膿を出すと、道長は大きな悲鳴をあげ、その2日後にこの世を去ったといいます。 まこと、人の命は、はかないものです。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━