平素よりご支援・ご声援賜りまして、誠にありがとうございます。
本日のラストブログの担当者、1人目は川村咲郎(体育4・盛岡第一)です。
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こんばんは。
筑波大野球部桐の葉隊長の(桐の葉隊長... 筑波大学宣揚歌「桐の葉」を一切の恥じらい・プライドを捨ててバカでかい声で輪の中心で歌う重役。
参照:今津寛春ラストシーズンにかける思い)川村咲郎です。
私は今、地元での教員採用試験に向かい、「川村先生」と呼ばれる日のために、新幹線にユラユラ揺られています。
筑波では川村という名の重積と戦った4年間でしたが、その分監督さんには可愛がってもらえた気がします。
広報局の一番好きな企画は、ラストブログです。
実に100名を超える先輩方のブログを耽読してきたことになります。ついに自分の番となり少し寂しいですが、先日トーク力を買われ、ベースボールリサーチの取材が来た実績に恥じぬよう執筆します、ぜひご一読ください。
生まれ育ちは岩手県盛岡市。
好奇心旺盛で、興味関心の守備範囲はロッテの小坂くらいあり、赤組団長から指揮者、生徒会長までなんでもやりました。野球を始めたのは親父とのキャッチボール。
どこにでもいる田舎の親子のキャッチボールをしていました。
そんなある日、父「このミットに届かようとせずに、ミットの奥に突き刺すように投げてみろ。」
咲「やってみる、父さん」
振りかぶって、、ビュンッッ!
ズドン!!ッッッ...
咲「と、父さん、これって...」
あの日、指先に走った感覚は僕にとって宝物です。野球を教えてくれた父に感謝します。
この瞬間、私の大学まで通ずる強肩物語が幕を開けました。
時折話題に挙がる、小中時代の○試合連続本塁打や100M走〇.〇〇秒、バレンタイン〇〇個は、ほとんど本当です。
なんでもやりたがりな性格が、日々の生活から良い影響を及ぼしていたと振り返ります。

高校野球は絶品でした。岩手で一番勉強のできる盛岡一高で、野球でも一番になったらどれだけ素晴らしい景色が見れるかと思い練習に励み、強豪私立に打ち勝った時の感動と、最後の夏に負けた時の悔しさは忘れません。
筑波OBの川又監督の存在が大学進学の道標にもなりました。
大学同期の多くが、東京タワマンを目指して株価や取引先と勝負することを選んだ中、地元岩手で教員になることを目指し続けたのは、高校野球の魅力と、岩手の人や街の魅力に、惹かれているからです。
裕平と崇人さんが、思わず帰ってきたくなるような教員生活にするのが、直近の目標です。
では、本題の大学野球に話題を移します。新人練は強烈でした。
よく匂いと記憶は関連すると言いますが、僕は当時TikTokで流行っていた曲と、山﨑トレーナーが流していたアランウォーカーを聞くと今でもクラクラするため、音と記憶の関連が示唆されています。
全力発声しながら多目C面をグルグル駆け回った日、タイラーのスライディングに左肘が耐えられず検査する際、コーチにMRIは無駄遣いと言われた日...いつまでも同期会での話のネタには困りません。
そんな新人練でセンセーショナルな出会いをした牧野さんが、今では僕たちの心の支えとは感慨深いものです。
西浦さんが言っていたように4年にならないと分からない事があるんですね。
そのような話を今牧野さんにすると照れ隠しなのか、軽くあしらわれてしまうのですが、あの新人練を始めとしてチーム作りに精力を尽くしてくれた方々のおかげで、この学年の団結力が生まれていることに間違いは無いです。
歴代の先輩方やコーチの方々には、厳しさと優しさのある指導をしていただき、本当に感謝しています。
4年間私はA.B.Cチーム、満遍なく移動しました。早い段階でリーグベンチを経験できたかと思えば、帰省中にじゃじゃ麺を食べ過ぎて守備範囲が晩年の松井稼頭央のようになりCチームになったり、関甲信大会に並々ならない思いを持って出場したり...。
選手として活動する以上、常に第一線で活躍し続ける人達への尊敬や憧れはあります。しかし色々なチームを回り、下積み時代を経験した人にしか見えないものもあるはずです。
今年の四年はそこから這い上がって活躍しているメンバーが多いのが強みです。監督の言うところの執念です。
山ちゃんや五十嵐などは本当にすごいと思います。
成果が出ない時も自分のやるべきことに向き合っていました。後輩達には、見習ってほしい四年生がたくさんいるので、残りの期間に肌で感じて欲しいです。
下積み時代といえば、榊原軍団として魂の野球を叩き込まれたメンバーの絆は深く、その心は雑草魂として根付いています。
榊原さんからは技術的、精神的、金銭的な面において返しきれないほどの格別のご指導を賜り、うまくいかない時、ウズウズしていた僕のケツに火がつくきっかけにもなりました。
見捨てずに叱って頂きありがとうございました。

年月を経るにつれて自分が特徴的だったのは、チームに対する気持ちがどんどん高まって行ったことだと思います。
応援やホームゲーム、局活動などで150人のチームが1つになっていく瞬間に心が揺れました。
そしてそれが部内だけでなく、野球教室に来た小学生や、試合観戦に来た人達、遠方からも応援してくれる人達などと、輪が広がって行ってほしいという気持ちもあり、総局長も務めました。
この諸々の活動は筑波大の魅力であり、強みであると思いますがまだまだ発展途上です。
筑波大がグラウンド内外問わず大学野球界を牽引していく存在になってほしいと思います。
最高学年となってからは、どんな形でもチームのためになる行動を心がけました。
春キャンプ前に肩を怪我したのも相まって、大貝先輩の言うところのにぎやかしのポジションにもコンバートしながらプレーしていました。
しかし春のリーグでは自分自身悔やんでも悔やみきれない試合を経験し、チームもあと1勝の所で2位に終わりました。春の負けがあったから秋優勝できたと言えるようにしたいです。
ラストシーズンが近づくにつれて、にぎやかしとファーストミット、ロキソニン常備者がやけに多い世代になりましたが、どの立場の人もチームのために出来ることを精一杯やっているはずです。
秋、それぞれの役割を全うすれば、山岡が最後は気持ちと言ってたように、四年生の湧き出る気持ちがチームを一つにするでしょう。
家族へ
地元を離れてからも、連絡と仕送り、なにより応援や叱咤激励に、感謝しています。今まで一緒に歩んできてくれてありがとうございました。大学でも一生をかけて関わっていきたいと思う仲間に出会うことができました。プレーヤーとしての野球を笑顔で終われるように頑張るので、応援よろしくお願いします。
後輩へ
岡田が春前にブログで四年について書いてくれたような気持ちを今何人持ってくれているかは分かりませんが、最後優勝に向けて、みんなの思い切ったプレーとアツい応援が見たいです。
一緒に駆け抜けましょう。
同期へ
「全勝優勝」胸を張って掲げれる目標です。
今まで立ててきたどんな目標よりも、達成したいと思うし、達成できると思っています。
優勝して、一日でも長くみんなと過ごしたいです。現段階でも、米田世代で良かったと十分思わせてくれるみんなですが、ラストシーズン優勝のために、執念を見せましょう。
では、今から、優勝後くじら食堂で、米田を胴上げし、祝いの酒に溺れている林を横目に見ながら、皆で「桐の葉」を大合唱するイメージをして、眠りにつきます。
ラストシーズン、一つになろう。
体育専門学群4年 川村咲郎
岩手県立盛岡第一高等学校

