こんにちは!

人生についていろいろと考えるSRPのつきです。

今日、ショッキングな出来事が。

郵便受けに喪中につき新年のご挨拶を遠慮しますの葉書が何通か。

その中に、名前に覚えのない人が差出人の喪中葉書が。

誰だろうと思い、文章を読んでみると前職のときにお世話になっていた上司の奥様からでした。
奥様の名前を知らなかったのですぐにはピンと来ませんでした。

この上司は、私を採用から本社転勤までいろいろと面倒をみてくれていた方でした。

転勤後も、私の出世を広島からいつも応援してくれていたし、陸上に関しても理解をしてくれていました。

何度か会社を辞めようと思ったときも親身になって相談に乗ってくれました。

それなのに、私が会社を辞める事にしたときは、逆に新しい道を応援をしてくれました。

それどころか、謝られたのを覚えています。

「ワシがあんたの人生を少し寄り道させたかもしれん。あんたが辞めたいといったときに辞めさせてあげれば、遠回りをすることなく、やりたい仕事ができたのに申し訳ない」と。

24歳のとき、退職願までだして辞めると宣言したときがありました。

その時は、治療家として勉強をしたいと思っており山梨まで勉強にいくつもりでした。

しかし、まだまだ社会を知らない。

なので、勉強のためにと本社転勤を提案してくれたのもこの方でした。

私自身、なっとくの上で会社にとどまりました。その4年後、結局辞めることにはなりましたが、会社で学んだことは多く、遠回りしたとは全く思っていませんでした。

遠くから私の事をずっと心配をしてくれ、広島に帰って時間ある時に会おうと思っていたのに、会えることはなくなってしまいました。

私が独立をして、一度会えるチャンスがあったのですが、急遽先方の持病の再発により会えなくなったときのやり取りが最後となってしまいました。

この方が永眠をされた日のスケジュールをみてみると、独立してからというか、人生史上初めてともいえるあり得ないドタキャンが起きた日でした。

もしかしたら、このドタキャンで生れた時間で最後の連絡ができていたのかもしれない。

なんだか、神様のいたずらって皮肉だなと思いました。

改めて、私自身の残りの人生を振り返るきっかけとなりました。

残された時間で何をしていくか。

長いようであっという間なんだと思う。

今出来ることを精いっぱい頑張りたい。

私が亡くなっても、みんなの記憶で生き続ける存在でありたい。

そのためにも、出会えた仲間は大切にしたいし、もっと楽しんでいければと思います。

今日は、ちょっぴり寂しい話題で失礼しました。


記録より記憶へ残るランナーへ☆
つき


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