「春琴抄」を読んでいるととても昔だと感じるところと、現代とあまり変わっていないのでは?と思うところが出てきます。

 

谷崎潤一郎さん、没後50年以上経っているので著作権が切れているのですが、

この「春琴抄」は明治のはじめころが舞台になってるんですね。

 

 

春琴の生まれ年は文政12年、と言うことで、ちょっと馴染みのない元号ですが、春琴の没年は明治19年。そして佐助の没年は明治40年。

 

明治40年と言うことは西暦だと1907年らしいです。(調べました)

 

佐助が亡くなって114年...

 

やっぱり結構 前でしたか?!(笑)

 

とは言え、明治生まれの人や大正生まれの人が身の回りにいらした方もいらっしゃるかも知れないくらいには身近かも知れないですね!

 

登場人物の気持ちの動きなどは読めば読むほど、現実だと錯覚してしまいます。

 

ただ、毎日普通に着物を着ていたわけですから、そういうところはむしろ「歴史」のように感じます。

 

 

 

 

 

 

 
「春琴抄」、好きな方も多いと思いますが、その人それぞれの「春琴抄」があると思います。
 
文庫の帯には
 
撥(バチ)が飛び、叱声が響くー
女師匠による人格否定の三味線レッスンが
今日も「待ち遠しい」!!
 
と言う惹句が書かれています。
 
正直、私はちょっと違和感があります。
 
でも、この言葉がぴったりだと感じる方もいらっしゃることでしょう。
 
YouTubeを始めていろんな作品と出会い、「朗読」していくうちにその作品への感じ方も変わってきたりします。
 
どんどん分からなくなる気がする時もありますが、
「あ〜そう言うことだったのか」と声に出すことでわかることも多いです。
 
どんな風に聴いてくださっているか、その方によって違うと思いますし、
「これはなんか違うなぁ」と思われることもあるかも知れませんね。
 
実際、私も他の方の朗読を聴いて違和感を感じることもあります。
 
でも、それはそれで良いのだと思います。
 
100人いれば100通りの読み方があるし、感じ方がある。
 
例え原作を書いた方が読まれたのを聴いても納得するとは限らないですよね!(笑)
 
(谷崎潤一郎さんが朗読されている「春琴抄」の一部を聞きましたが、ご本人ももしかしたら納得されてなかったかも知れない、と失礼ながら思いました。)
 
YouTubeも朗読も奥が深いなぁとますます感じている今日この頃です。

 
明日も18時には動画をアップします。
 
 
 
最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。