仕事帰り、近所のファミレスでコーヒーを飲むのが好きである。
一日の出来事を反芻しながら、メールチェックをしたり、ただぼんやりとしたり、そんな時間が好きである。
その日も、そんな時間を一人、過ごしていた。
ふと時計を見ると23時をもう回っていた。
そろそろ出るか。
私は伝票を手に取った。
値段は355円。
ドリンクバー、妥当な値段であろう。
財布から小銭を出し、レジに向かった。
☆
レジでは、私の前に一組、会計客が居た。8人連れの団体である。
小学生くらいの子どもが4人、それぞれの母親とおぼしき中年女性が4人。
そう言えば、季節は卒業式シーズンである。謝恩会帰りの友人グループなのだろう。
そのママさんグループのリーダー格らしき女性が、笑顔で店員に告げた。
「個別会計でお願いします」
えーっ!
と私が心の中で叫んだことは言うまでもない。
一人目のママさん。二人目のママさん。
個別会計がゆっくりとなされていく。
三人目のママさん。四人目のママさん。
流れる無為な時間。
ようやく会計が終わった。私は安堵し、レジに足を進めた。
その時。
ママA「はい、じゃ次、子どもたちの分ね」
えーーーっ!
と私が心の中で叫び、かつ、声がちょっと漏れたことは言うまでもない。
無情にも、会計は2順目に突入した。
ふと、背後を見ると、行列が出来ている。
ひぃ、ふぅ、みぃ・・・5組。
皆、この個別会計を戸惑いの視線で眺めている。
一人目の子どもがレジに立つ。
私の背後で順を待っていた、ママさんグループと同年代と思しき女性(少し田中真紀子に似ている)が、レジへと歩み寄った。
真紀子「まだですか?」
店員「申し訳ありません」
ママA「ほら、Aちゃん、あんた何食べたの?」
真紀子「困っちゃうんだけど」
店員「申し訳ありません」
ママA「ほら、どれ食べたのか言って」
行列に戻って来た真紀子が、私にも怒りの相槌を求めて来る。
私は曖昧に頷いた。
そんなことより、私の目は、今、レジで起きて居る事態に釘付けだったからである。
子どもB「私、これ食べた」
店員「こちらは、すでに会計が終わってます」
子どもB「でも、これ食べたよ」
子どもA「あ、私、間違えたかも」
嫌な予感が、嫌な予感がする。
母親C「あんたは何食べたの?」
子どもC「料理の名前がわからない」
母親C「メニューの写真見せてもらいなよ」
母親A「あ、いけない。さっき、ポテトの料金、払い忘れた」
嫌な予感が、嫌な予感が止まらない。
母親D「どうなってるの?」
母親C「いろいろ手違いがあったみたい」
子どもD「俺もポテト食べたよ」
母親B「じゃあ、ポテトはAさんとDさんで半分こだ」
母親A「ごめん、やっぱりウチの子、メニュー間違えてた」
やめてくれ、やめてくれ。
母親「仕方ない。もう一回、最初からね」
あぁぁぁぁぁ!
嫌な予感的中ぅぅぅ!!
私の背後の行列から一様に、驚愕のうめき声と憤怒のため息が漏れる。
真紀子など、唇をわなわな震わせている。
真紀子「どうなってるのよ!」
頼む、私に当たらないでくれ。
行列は、ひぃ、ふぅ、みぃ…
7組。
当たり前だが、さっきより増えている。
ママたちは、一人一人、メニューを開き、それを店員に指し示しながら、また一から会計を始めた。
時計を見ると、いつの間にか12時を回っていた。
そこからどれほどの時間が経ったのか、ようやく、8人分の会計が終わった。
店員が私を見るなり、疲労困憊した表情で謝意を述べる。
君が悪いわけではない。
私は笑顔を返し、自分の伝票を彼に渡した。
ようやく、事は終わるのだ。
店員「お会計、14262円です」
えーーーっっっ!
と私は、心の中ではなく現実に叫んだ。
ばばば馬鹿なことを言うな!
私の注文はドリンクバーのみだ。ドリンクバーで14262円とは、歌舞伎町も真っ青のボッタクリ店ではないか!
私「いやいやいや、違う違う」
店員「はい?」
私「伝票見て、見て」
店員は伝票をにらみ、確かに、とつぶやき、改めてそれをレジのバーコードに掛けた。
あぁ驚いた。
だが、長い待ち時間から、今度こそようやく解放されるのだ。
レジの液晶表示に、9999999円と示された。
私「そんなわけあるかいっ!」
そのレジは壊れている。
理由は、間違いない。
さっきのママさん集団だ。会計を一旦リセットして何周も個別会計をしていたから、店員がどこかであらぬボタンを押してしまい、正常な機能を喪失したのだ。
店員も、心身共に限界だったのであろう。
真紀子「あの、まだですか?」
私「すいません」
ほら見ろ、真紀子が来てしまったではないか。
思わず私が謝ってしまった。
背後の行列からは、全世界の憎悪がこの場に凝縮されたかのような視線が、私に向けられている。
私は悪くない、何もやっちゃいない!
しかし怖いもの見たさもあって、私は行列を見た。どれだけ増えてしまっているのだろうか。
ひぃ、ふぅ、みぃ…6組。
さっきより減っている。
おそらく、誰か一人、この混乱の間隙を縫って食い逃げに成功している。
店員「お客様大丈夫です。355円で結構です。頂戴します」
もはや店員の声色には生気がない。
レジは壊れた。
後ろにはまだ6組の行列。
この後も続くであろう修羅場を思うと、暗澹たる思いになった。
店員氏が発狂しないことを祈るばかりである。
いそいそと店を出ると、ドア付近に溜まりが出来ている。
先ほどのママさん軍団である。
母親A「EさんとFさんが、近くの居酒屋にいて、こっちと合流したがってるわよ」
母親B「じゃあもう一回、このファミレス入ってお茶する?」
それだけはやめてあげて!