仕事帰り、近所のファミレスでコーヒーを飲むのが好きである。

一日の出来事を反芻しながら、メールチェックをしたり、ただぼんやりとしたり、そんな時間が好きである。

その日も、そんな時間を一人、過ごしていた。

ふと時計を見ると23時をもう回っていた。
そろそろ出るか。
私は伝票を手に取った。

値段は355円。
ドリンクバー、妥当な値段であろう。
財布から小銭を出し、レジに向かった。


レジでは、私の前に一組、会計客が居た。8人連れの団体である。
小学生くらいの子どもが4人、それぞれの母親とおぼしき中年女性が4人。

そう言えば、季節は卒業式シーズンである。謝恩会帰りの友人グループなのだろう。

そのママさんグループのリーダー格らしき女性が、笑顔で店員に告げた。



「個別会計でお願いします」



えーっ!

と私が心の中で叫んだことは言うまでもない。



一人目のママさん。二人目のママさん。
個別会計がゆっくりとなされていく。

三人目のママさん。四人目のママさん。
流れる無為な時間。

ようやく会計が終わった。私は安堵し、レジに足を進めた。

その時。



ママA「はい、じゃ次、子どもたちの分ね」



えーーーっ!

と私が心の中で叫び、かつ、声がちょっと漏れたことは言うまでもない。

無情にも、会計は2順目に突入した。

ふと、背後を見ると、行列が出来ている。
ひぃ、ふぅ、みぃ・・・5組。

皆、この個別会計を戸惑いの視線で眺めている。

一人目の子どもがレジに立つ。
私の背後で順を待っていた、ママさんグループと同年代と思しき女性(少し田中真紀子に似ている)が、レジへと歩み寄った。


真紀子「まだですか?」
店員「申し訳ありません」
ママA「ほら、Aちゃん、あんた何食べたの?」
真紀子「困っちゃうんだけど」
店員「申し訳ありません」
ママA「ほら、どれ食べたのか言って」


行列に戻って来た真紀子が、私にも怒りの相槌を求めて来る。
私は曖昧に頷いた。
そんなことより、私の目は、今、レジで起きて居る事態に釘付けだったからである。


子どもB「私、これ食べた」
店員「こちらは、すでに会計が終わってます」
子どもB「でも、これ食べたよ」
子どもA「あ、私、間違えたかも」


嫌な予感が、嫌な予感がする。


母親C「あんたは何食べたの?」
子どもC「料理の名前がわからない」
母親C「メニューの写真見せてもらいなよ」
母親A「あ、いけない。さっき、ポテトの料金、払い忘れた」


嫌な予感が、嫌な予感が止まらない。


母親D「どうなってるの?」
母親C「いろいろ手違いがあったみたい」
子どもD「俺もポテト食べたよ」
母親B「じゃあ、ポテトはAさんとDさんで半分こだ」
母親A「ごめん、やっぱりウチの子、メニュー間違えてた」


やめてくれ、やめてくれ。


母親「仕方ない。もう一回、最初からね」



あぁぁぁぁぁ!
嫌な予感的中ぅぅぅ!!


私の背後の行列から一様に、驚愕のうめき声と憤怒のため息が漏れる。
真紀子など、唇をわなわな震わせている。


真紀子「どうなってるのよ!」

頼む、私に当たらないでくれ。

行列は、ひぃ、ふぅ、みぃ…
7組。
当たり前だが、さっきより増えている。


ママたちは、一人一人、メニューを開き、それを店員に指し示しながら、また一から会計を始めた。
時計を見ると、いつの間にか12時を回っていた。


そこからどれほどの時間が経ったのか、ようやく、8人分の会計が終わった。

店員が私を見るなり、疲労困憊した表情で謝意を述べる。
君が悪いわけではない。
私は笑顔を返し、自分の伝票を彼に渡した。
ようやく、事は終わるのだ。



店員「お会計、14262円です」



えーーーっっっ!
と私は、心の中ではなく現実に叫んだ。

ばばば馬鹿なことを言うな!
私の注文はドリンクバーのみだ。ドリンクバーで14262円とは、歌舞伎町も真っ青のボッタクリ店ではないか!


私「いやいやいや、違う違う」
店員「はい?」
私「伝票見て、見て」


店員は伝票をにらみ、確かに、とつぶやき、改めてそれをレジのバーコードに掛けた。

あぁ驚いた。
だが、長い待ち時間から、今度こそようやく解放されるのだ。



レジの液晶表示に、9999999円と示された。

私「そんなわけあるかいっ!」



そのレジは壊れている。

理由は、間違いない。
さっきのママさん集団だ。会計を一旦リセットして何周も個別会計をしていたから、店員がどこかであらぬボタンを押してしまい、正常な機能を喪失したのだ。

店員も、心身共に限界だったのであろう。


真紀子「あの、まだですか?」
私「すいません」


ほら見ろ、真紀子が来てしまったではないか。
思わず私が謝ってしまった。

背後の行列からは、全世界の憎悪がこの場に凝縮されたかのような視線が、私に向けられている。

私は悪くない、何もやっちゃいない!

しかし怖いもの見たさもあって、私は行列を見た。どれだけ増えてしまっているのだろうか。

ひぃ、ふぅ、みぃ…6組。
さっきより減っている。

おそらく、誰か一人、この混乱の間隙を縫って食い逃げに成功している。


店員「お客様大丈夫です。355円で結構です。頂戴します」


もはや店員の声色には生気がない。

レジは壊れた。
後ろにはまだ6組の行列。
この後も続くであろう修羅場を思うと、暗澹たる思いになった。

店員氏が発狂しないことを祈るばかりである。


いそいそと店を出ると、ドア付近に溜まりが出来ている。
先ほどのママさん軍団である。

母親A「EさんとFさんが、近くの居酒屋にいて、こっちと合流したがってるわよ」
母親B「じゃあもう一回、このファミレス入ってお茶する?」



それだけはやめてあげて!