11月12日
★モスクワ観光2日目★
午前中いっぱいを雨と風のヴェルニサージュに費やし、荷物を置きにホテルに戻ってきました。
昼食をサクっと済ませて、街歩き再開です。
晴れてきたー!やったー!!
長―い地下鉄のエスカレーター。これで半分くらい。
このエスカレーター、足元のステップと手すりが動くスピードが違う!
ずっと手すりを掴んでると腕が少しずつ前にひっぱられます。
エスカレーターで階段と手すりが一緒に動くって、当たり前のことじゃないんだなぁ。
これまた長―い電車。
地下鉄にもだいぶ慣れてきました。
降り立ったのはマヤコフスカヤ駅。
旧マヤコフスキー広場 (今は凱旋広場と呼ばれてます)
ここはオリガが恋人と十数年ぶりに再会してその運命が再び動き出した場所!
この大好きな場面を思い出してひとり物語の世界へトリップ(笑)
銅像はもちろん、マヤコフスキー。(ソ連を代表する詩人)
またこの広場に面する場所にあったとされるモスクワ・ミュージック・ホールも物語の重要な場所として描かれています。
志摩もオリガの手がかりを求めてこの広場までやって来ました。
今も広場に面して立派な劇場が。(チャイコフスキー・コンサートホール)
物語の中ではこの劇場の広場を挟んだ向こう側の建物の地下にモスクワ・ミュージック・ホールがあったという設定。
おそらく銅像の右側の建物あたり。
こんなところにもスターリン・クラシック様式のビル発見!ペキン・ホテル
凱旋広場の奥からは昨日、旧ベリヤの館の近くで見た文化人アパートも見えました。
広場のブランコをすごい勢いで揺らす子どもを眺めながら、私もベンチでひと休み。なごむ~。
この近くにもう一ヵ所行きたい場所があるので少し歩きます。
広場に面するこのトゥヴェルスカヤ通り
赤の広場を起点にサンクトペテルブルグまで繋がるロシアの主要道路です。
この先まっすぐ行くとアエロ・エクスプレスを下車したベラルースキー駅があります。
そこから先は通りの名前がレニングラード通りと変わり、サンクトペテルブルグまで繋がります。
(サンクトペテルブルグの旧ソ連時代の名称がレニングラード)
反対側に進むと赤の広場方向。私はこちらに進みます。
途中左手にそびえてた特徴的なビル。オルジェイニ、というビジネスセンターだそうです。
一瞬、またスターリン・クラシック様式か!?と目を見張りました。
そして、偶然にもここでナチュラ・シベリカのお店を発見!
ナチュラ・シベリカはロシア発のオーガニック・コスメブランドなのですっっ
希望を伝えると店員さんがあれこれ試させてくれたので、気に入ったハンドクリーム(大きくても300ルーブルくらい)をいくつかお買い上げ。
うっかり寄り道してしまいましたが、目指しているのはホテル・ルックスのあった場所です。
簡易地図とにらめっこしながらこの辺のハズ・・・とウロウロ。
まさか、この工事中シートに囲われたコレ!?
シートにルックスって書いてある。間違いない!
ホテル・ルックスは共産主義運動の指導拠点、コミンテルンの会合に出席するためモスクワにやってくる各国の共産主義者のための宿。あのゾルゲも宿泊していたそうです。
物語の中ではエレオノーラが滞在した場所として登場。
このホテルから先述のモスクワ・ミュージック・ホールに通訳のために通っていた、、というあらすじでした。
このホテル・ルックスについては、”オリガ・モリソブナの反語法”以外にも、ロシア関連書籍の中で度々登場します。
フィンランド人女性、アイノ・クーシネンの自伝”革命の堕天使たち―回想のスターリン時代”にも彼女が生活していた場として登場。
この本も米原さんが書評を寄せていたから読んだのですが、なかなかの衝撃度でした。
ここが!あのルックス!という感慨にふけった後は、ホテルを探していた途中に見つけた食料品店目当てに逆戻り。
エリセー・エフスキー
この食料品店の何がすごいって、とにかく内装がすごい!
超ゴージャス!!
1901年からこの場所で営業しているお店。ということは
ホテル・ルックスに泊まってたソウソウたるメンバーもここに買い物に来てたんだろうなぁ。。。
こんな凄い場所にまで来れるとは、なんて幸せな日・・・(*´ω`*)
夢のように煌びやかな空間で買い物できる幸せ。。。1日買ってばっかだな(^_^;)
ここで買ったペローニのはちみつスフレはパッケージも可愛いいし珍しいしでお土産にも喜ばれました。
そして、ウズベキスタンに引き続きここでも”ハルヴァ”を発見し迷わず購入。帰国後の楽しみができた♪
素敵な時間をありがとう。
ここから宿泊しているホテルまでは歩いてすぐ。
お土産をいっぱい抱えて、雨上がりの大通りをホクホクした気持ちで歩きます。
夜のボリショイ劇場前。ライトアップも素敵。
ポスターがずらっと。
そうそう、このボリショイ劇場も物語に登場しています。
オリガのダンサーとしての最後の職場!
そして志摩が、金に物を言わせてソリストの座を射止めた日本人バレリーナの無様な踊りを見てショックを受けるシーン。
ソ連崩壊後は天下のボリショイ劇場もお金がなくてそういう人を受け入れる素地があった、と。
実際はどうだったんでしょうか、でも当時のロシアについても舞踊についても詳しい米原さんが書いているので妙にリアリティがあります。
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昨日、今日で米原万里さん”オリガ・モリソブナの反語法”の舞台をアチコチ歩いてきました。
今回歩いたのは市内中心部のわかりやすい場所だけでしたが、この他にもモスクワの物語スポットはたくさん!
ブルティカの監獄、エストラーダ劇場、ボリショイ・バレエ学校、第33病院・・・
いつか誰かが映画化して映像で届けてくれないかなぁ。(なんという贅沢っ)