私はどうして
長澤まさみみたいな外見を選ばなかったんだろう



何がしたくて私を選んできたんだろう





そんなのはさ、

どんだけ占いで聞いたって

たどってたどって生きてみなきゃ

実際にはわかんないことだ




性格も、体質も、顔も、環境も

自分で選んできたんなら

それ確かめてから死にたいな。





それでさ


そんなことがやりたかっただけで、

こんだけ手の込んだ舞台を用意したのかよー

神様ってバカねー

って大往生するの。





まぁ、今世だけなら


こんな役でも全うしてやろうかな


と思うわけ。






舞台と、演出と、役柄と、人間はもう決まってる





自分で選んできといて

その役を気に入らないはずはないんだがね!


でも、なんで長澤まさみじゃないんだろう?笑


逆に気になるよ


まぁね、最近はこんな自分でも割と気に入ってるから

変な写真でも載せよっかなーって



これが許しですよ。


あのキリストが十字架を背負って、アダムとイブの過ちを帳消しにしてくれたから


こんなコンプレックスまみれでも許しちゃおって



そんなことのために十字架背負ったんじゃねーわとか言わないよ。
キリスト優しいから。笑



んで、まぁ、こんな自分でもいっかーってなったら


不思議と


あら私って結構イケてる子じゃん


みたいな


そんなもんですよ。



自分を知るって偉大なのよ




人間はひとつも変わってないんだけど




選択も行動も言動も変わってくるわけ



そのうちに人間が変わったのかなみたいな


効果はあるよね




全然変わってないんだけどね









あの頃から何にも変わってないわけ





というか戻っただけ。



大人になるにつれて着込んできた鎧を

わざわざ苦労して脱ぎ捨てる。


なにやってんの笑



漫才なの?


人生って漫才なの?



結局、長澤まさみにはなれないのよ。




ありのままに生きたって、

長澤まさみにはなれないの。
しつこい






相変わらず

見慣れた顔があるだけなのに、



はずなのに



なんか愛おしい。








大抵さ、

自分を変えるために
持ちもの増やそうとするでしょ。



何かが手に入ったら自分を好きになれるとか、

これを手に入れたら本当の自分が開花するみたいな







何にも持たない素の自分を好きじゃない人が


何かを手にしたところで、


真に自分を好きにはなれないのよ。



その何かを好きなだけでさ。


その何かを失ったら、また自分が嫌いになるでしょ。


例え、美貌を手に入れたとしてもよ、歳とれば失うさ。


そん時、自分のこと好きになるためにまた持ち物探さなきゃいけなくなる。





私には、当時のままの考え方で生きてたら、そんな自分の将来がはっきり見えた。




自分に足りないものを補うために頑張り続けるアホらしさに嫌気がさして



しょうがない、


何も持たない自分を好きになる道を選ぶか


ってことになったわけ。



まぁ相変わらず長澤まさみじゃないんだけどね。



素の自分を直視できた時に人はさ

欠乏感から解放されるし

承認欲求からも解放される





これだけで社会貢献だと
私は思うね。