やっほー

どんどんこざっぱりしてきてる奈月だよー

Instagram1周年を迎えて、
一年かけて性格の悪さを露呈しただけじゃないかと面白がっていますもぐもぐ



まだまだ、悪態のネタですルンルン


あえて、口わるく言うって
普段でもやってたんだけど


肚では本気で思っていないテイというか
冗談だから本気にしないでねっていうテイを装って、バリアを張ってました。

(それは、諸々あるじゃん。
相手が傷つくとかさ)

冗談でいう悪口って、
振り返ってみたら
肚でも本気で悪く言ってるんですよ。

それをさ、肚では本気じゃないですって
周りにも匂わせてるし
自分自信にも言い聞かせてたの!

これは自分に嘘ついてることになってたなって気がついて。

肚の中では、何を言おうが
誰を殺そうが
誰を甦らそうが
また殺そうが
勝手だよねって
気がついたからさ。
大げさな考えだけど、
他人には侵されない肚の中のことでさ、
他人を悪く言っても、これぐらいに留めとくとか制限かけるのはおかしいんだよね。
思っちゃうもんは思っちゃうんだもんね。

その思っちゃうことを
冗談にすり替えて受け取るのを拒否してたんだけど、

自分の中でふっきれたら

悪口くらい可愛いじゃんと
思うようになって

口わるく言うっていうのは
今までと変わらないけど

冗談じゃなくて
本気で肚で言うようにしたの。

そしたらね、
冗談で言ってる時より笑えるの。

悪口にも色々種類があると思ってる。

笑えるやつと
笑えないやつ。

笑えない奴は
心の中で一人で楽しむことにしたんです。

でも、笑えるやつは出せば良いよね。

何の違いがあるかまだはっきり分析できてなくて

自分でも笑えないやつを言って場を盛り下げたりしちゃうかもしれないけど

癇癪持ちが堂々としているためには
癇癪を笑いに転換できる人間になるしかないって思ったの。


それにどんな怒りでも笑いに転換できる精神を手に入れたらさ
私の刺し子って超素敵かも。って思うんだー❤️



歯に衣着せぬとかさ、

口調が激しくても爽快なひとたちっているのね。

だから、私もそんな風になりたいの。

でも、現状は口が達者な方じゃないし

頭も回らないし

ただのデリカシーない女なんだけどね。




自分が腹が立った時に
どう処理したら笑えるかっていうのを
なんか掴んだ気がしてるけど
まだ赤ちゃんくらいに。


純粋に腹を立てて、
腹が立つままに表現して
言い切って
スッキリして笑う
って最高じゃんか。

私はこれを陰口とごっちゃにしてたんだよね。

相手に腹が立った時に
その場で怒りを表現するのは
野暮なのよ。

何にもならないし。

言い負かされれば怨みが募るし、
言い負かしたところで気分は悪いだろうと思う。
その場で言い合ったって気持ちが通じ合うことはないのよ。
こっちが怒れば、あっちも怒ってるこの状態ではね。

んで、
この怒りをどう処理するかって話でさ。


怒りはいったん持ち帰るのよ。
相手がどれだけ悪くて、
どんなに下劣で
どんなに自分を見くびっていて
どんなにひきょうで
どんなに...どんなに...

これらを大切に持ち帰るの。
引き下がるんじゃないの。
大切に大切に持ち帰るの。

相手の悪さを下劣さを相手に分からせるなんてことは諦めるのよね。意味ないから。反省させるとか意味ないから。


そんで、
一人でもいいし
その怒りを共有してくれる人とでもいいんだけど

口に出して言ってやるんよ。

一人になる時がなくても
共有してくれるひとがいなくても

無理やりにでも一人になるの。
自分とふたりっきりになるのよ。


どうせ部屋に一人なら
口に出せばよくて。
ノートにこっそり書くなんて可愛いことしなくても肚の中で斬殺すればいいのよ。
いや、コロス必要ないよ笑
大切なのは自分の気が済むかどうかってこと
怒鳴りつければ気が済むのか
切り刻めば気が済むのか
それをイメージしながら
悪口を口に出しちゃう。
小さな声でも、
肚で本気で憎みながら口から出してみる。

言葉がでなければ
ノートに書き出した
相手の悪口を読み上げるのよ。
憤怒の形相でね。(側からみたら変顔でもやるの)
殴るのイメージしながら
怒りを全部ぶつけるの。


それで、爽快な気分になったらしめたもんでしょ。
そしたら自分のいたいけな部分が見えてきて可愛くて大笑いするはず。


これ、一人で怒りを笑いにできたらいいよね。

周りにいる人が
怒りを表現することに罪悪感を抱いてたりすると

そんなに怒らないで
機嫌なおして
そんな風に言うもんじゃないよ
って言ってくる。

というか、言ってたもん。
私はめちゃくちゃ罪悪感あったから
怒りは沈めるのが正しいと思ってたから人にも言ってたもんね。


でも、たまに居るのよ。
一緒に怒ってくれる人が、
一緒に居て、もっと汚い言葉で
罵ってくれて
爽快な気分に転じてくれる人がいたりするのよ。
そんな友人が一人でも二人でもいるといいよね。
でも、いなくても全然大丈夫。

そんで、
ここからが真骨頂でね。
直接ぶつかった相手がいなくても
勝手に妄想して腹が立つことってあるじゃない。
それとか、
相手が人間じゃなくて災害とか
権力持ってて太刀打ちできないとか。

そんな時も
怒って罵れたらいいよね。
どんだけその悪口が理不尽でも関係ない。
怒ってるのが真実なんだから
どんな理由で怒ってるか考える必要もなければ
どっちが悪いかなんて考える必要もない。

自分が怒ってるんだってことだけが一番大切で

ほんとに、

自分は今怒ってるんだってことだけが
一番大切で

爽快な気分になるまで
他人を罵っていいんよ。

相手に謝らせることが目的じゃないから
肚の中でやる
ひとりのときに。



怒りにまみれていると
気分が悪いから
その気持ちを変えたいと思った時に
いくつか方法があってさ。

一つ目は抑える。見て見ぬふりをする。

二つ目は話題をそらす。
違うことを考える。

三つ目は全部出す。


どれを選ぶかは自由だし、
場合によっては
選択肢があるほうがやりやすい。

いつでも一人になれるわけじゃないから、
ひとりの時間が取れるまでは
話題を逸らしておくのがよいかもしんないしね。

でも、感情を抑えること我慢すること見て見ぬ振りをすることは
一見、コントロールが効いて楽だけど
後から絶対痛い目をみるから。

怒りは大切に持ち帰って
怒りがあるうちに全部出して
出して出して
スカッとするまでやるのがいいの。
新鮮なうちにね。
そしたら相手に対する遺恨が消えちゃう。
いくら憎んでたって妬んでたって
スッとするまで切り刻めば
遺恨も消えるよーーーー爆笑


ダラダラダラダラ
怨むのは
相手が自分に応えてくれないとかじゃなくて
自分がその怒りを肚から出してないからだって
このたびよくよくわかったの。

私、可愛こぶってたなって。


それにちょっと怖かった。
思考が現実化するって聞いてから
他人を害するイメージが実現化したらどうしようって思ってた。
これは、いまから実験しなきゃいけないね。
すでに何人もやっつけちゃったから。


でも。思考といっても。
念じるだけじゃ実現しないことは分かってるから、イメージしたところで何とも無いと思う。

大切なのは何をイメージするか考えるかってことじゃなくて
考え方のほうなんだよね。

怒りはスカッとしなきゃ転換しない。

スカッとさせるには
それなりの報復をイメージするのが早い。

実際に相手が不幸になるのを待つなんてスマートじゃないよね。

早くくたばらないかな、ってこっそり思ってる相手がいたら

早くくたばれって言ってスッキリさせたほうがいいよ。

私は旦那にムカつくこと言われたのを一つ一つ思い出して
一回一回イメージで斬った。

でも嫌いではないの。

嫌いな相手じゃなくても
怒りっていくらでも出る。
他人だもん。



今日、旦那さんとの会話エピソードが一つあってね。

旦那さんがいちごを買って来てくれて
いちご狩りの話になった。

旦那さんがふと
『いちご狩りで摘み方が悪いと、そこ摘むなとか、全然ダメっとか、そこの人にめちゃくちゃに言われそう。』
って言ったのを聞いて、私は面白くなっちゃって。

『なんで偏屈なジジイが見張ってんの』
って言って笑ってやったの。
肚の底から偏屈なジジイを悪者にしながらね。

そしたらね、
いちご狩りに行って嫌なことがあるかもしれないっていう話が、架空のジジイをやっつける笑い話になっちゃった。

別に、いちご狩りで嫌なことがあったわけじゃない。
農家のオヤジにいびられたわけじゃない。
特定の人物がいるわけじゃない。

それでも、架空のジジイに虐げられることを考えて嫌な気分になったりもする。


だから、
架空のジジイを偏屈呼ばわりするの。

そこでね農家さんを悪くいっちゃいけないとかしてたらね
怒りが台無しよ。

農家もジジイも関係ないの。

蔑まれた気分を
怒りに転じて
また爽快な気分に転じて

どんどん
快活にやってればいいだけなんよ。



どんなに自分に非があると言われても
なんとなく自分に非があるような気がしても
どんな手を使っても
相手を悪く言うことって技術だなって思った。
どんなに理不尽なことでも
それが言いがかりでも
逆恨みでも
とにかく相手を悪者にすることを
自分に許してあげれたら
どんなクズな自分でも許せるもの。




最終的な目的は考え方を変えること。

自分はくだらない、無知で、頭が悪くて、才能もない。

そんな考えを

いいがかりつけて
逆恨みして
憎んで
斬って斬って

怒りとして認めることで

肚の底から反抗してもいいってことが
身についてくる。
肚の底でなら
どれだけ反抗してもよくて。
どんな手を使っても
自分の人間性を否定させるようなことはしない
って肚に決めるの。
どれだけ自分に非があってもね。

他人を否定することに罪悪感があって
なかなか
肚が決まらなかった。
自分以外の人間は誰でも、どんなに偉くてもどんなに世話になってても、どんなに不幸な相手でも
自分の人間性を守るためには
悪口を使うってこと。

あの人はあれだけ苦労したんだからそんな風に言いたい気持ちもわかるとか

他人の主張を聞き出したら

自分が怒る暇がなくなっちゃう。

いま、怒ってるのわたしだから!!!
って肚の底からやれたら

どんな人間から
どんな正論を持って否定されたとしても


お前に言われたくねーよ

で済むんだね。




陰口と何が違うか考えたんだけど、
目的が違うんだと思う。

陰口は相手に相手の悪さを分からせることが最終的な目的になってる気がする。

しかも、集まって陰口をきくなんていうのは共感を得て自分達の手を汚さずに報復するっていう、自分の身を守るやり方のなかでは相当卑怯なやり方だね。



悪態をつく練習してたらね。
怒りに振り回されることが少なくなったし、
怒りが湧いてくるのが楽しみになった。
どうやったら報復できるか考えるまえに
あっさりやっつけて
爽快感にしてやろうと思うからね。