今月発売の2冊の新刊を
読み終えました。

『 すべては、今に繋がる必要な経験 』
という言葉が頭の中に響いた。



奇しくもこの著者のお二人には
何かのご縁を感じています。

わたしがお店を始めたのは1999年
平成11年11月でした。
お店にお札を頂きたく思い
その年の大晦日に出雲大社に到着して
年が明けたまさにその時でした。

清掛をかけて拝殿に座っていて
隣にいた母が、
わたしのわき腹をつついて
外を見るように促した。
(神職の祝詞が
始まっていたと思います。)


後ろを振り向くと、
外は景色が全く見えないほど
バケツをひっくり返したような
大雨で、雷の音すら
まともに聞こえないほどの
強い雨が地面を打ちつけていました。


年が明けたと同時に、
投げ銭をして
一斉に祈願を始めるために
詰めかけていた
あれだけ多くの参拝者は、
一体どこにいったのか??びっくり??


まるで拝殿と外が、
突然の瀧のカーテンで
遮断されたような
雰囲気になったのです。


無事に祝詞をあげてもらって
祈願ができて
外に出るときには、
ミストのような
霧雨に変わっていた。


境内を歩いているときは、
何故か心が躍って
自分の体が軽くなって、
ゆるやかな下り坂のところでは、
ゴム毬のように勝手に弾んで
両足が同時に宙に浮いて跳びはねてた。


まるで大好きな田舎の懐かしいお家に
帰ってきた子供のように。

34才にもなって、周りの人の目が
恥ずかしかったことを
覚えている。


そのあとに、
初めてたまゆら(オーブ)の
写真が撮れた。

当時は、アナログカメラなので
後に現像プリントをしなければ
わかりませんでした。


『あれ~?!雪なんか、
降ってなかったのに…??』と思った。

あまりにも、不思議な神の世界が
写り込んでいて感動しました。


ご縁があって、日月神示で有名な
中矢伸一さんの
日本弥栄の会の機関誌『たまゆら』
(今は漢字の玉響になっている)の
講読会員だったので
写真5枚を投稿させて頂きました。

タイミング良く、
1月の新年号に載せてもらって
嬉しいコメントを頂いた。

👆一番癒されるお気に入りの写真。
記念すべき日 2000年 平成12年1月1日





 


この写真をマジマジ見ていたときに、
直感的に…?!
『今年、2000年からとうとう
出雲が表に出る!』と思ったのです。


案の定というか、
この年の4月に出雲大社が
昔は高層神殿であったという
証拠と言える
丸太を3本束ねて一つの柱にした形の
朽ちた御柱が発掘された。


『このことだったのか!』
ひとり感動して、
身震いしたものだった。



話はもどりますが…
実はこの中矢伸一さん、
後々にわかったことですけど…

昭和60年に、ある新興宗教に
入信されたということは、
公表されていましたが
(この新刊にも書かれてある)

同じ宗教団体に、しかも同じ年に
わたしも入信していたことが
わかりました。


この宗教に親に無理やり
入信させられて
ずっと違和感を感じていたわたしが
本屋で中矢伸一さんの著書を見つけて
買って読んでいた頃に、
その宗教団体を脱退した経緯を
綴られていた。


わたしは、この絶妙なるタイミングで
勇気がわいて、
自己判断で脱退しました。


個人の入信という形態よりも、
家族をみんな教団に導くことを
主体としていたところだったので、
ガッチリ固められて
やめることが
かなり困難なところでした。


中矢さんの本📚との
出会いがあったお蔭で
心と体と時間の自由を
取り戻したということの
お礼の気持ちを込めて、
(平成16年5月)長い手紙を書いて
送ったことがありました。

読んでもらって、
嬉しいことにお返事も頂きました。


その時に
中矢さんがその宗教団体に
関わり入信してされていたことを
『 …それもまた、必要なことであったと
今では思っています。』
と書かれていました。


それからは、何もかも教団の指示を
受けて神様を頼る信仰じゃなくて、
行きたい時に行きたい神社を独りで
参拝するようになったのです。



  2回目の投稿👇


相変わらず、その系統の本は、
ずいぶん買って読んだ。
(竹内文書や大本教、
日ユ同祖論・神代文字・
ペトログラフなどまで広がった)

このようなことで共感できるのは
やっぱり波長のあう著者の本だけで…。



2013年 平成25年5月
出雲大社 平成の大遷宮。
60年ぶりの遷宮が行われました。

その時のことは、
いずれ書こうと思います。

不思議な導きがまたまた
始まっていくことになるのだった。




 

 

 

 


 




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