満員電車に乗っていてふと思った。







世の中や、世の中で起こっていることの全ては とても重大なことであり、全く重大なことではないのではないか。





私の存在は、とても重大な存在であり、全く重大な存在ではないのではないか。






世界は真実が、とても見えにくい。






私が今まで信じてきたものは、本当に真実だっただろうか。





真実だと思いたいことを、信じてきたのではないか。





そう言うことを考えると、頭がおかしくなりそうになるので、考えるのをやめなければいけないと思った。









「考えすぎ」




私は子供の頃からよくそう言われていた。




そして言われるたびに、心は深く傷ついた。




そう言われても、私は色んなことが気になるのだ。




人にとってはどうとも感じない事も、私にとってはとても気になるのだ。




今でもそうだ。





「考えすぎ」





確かにそうかもしれない。





でも、考えられない人に「考えろ」と言っても無駄なように、考えてしまう脳を止めることなど出来ない。




自分でコントロールできることではないのだ。





考えすぎてしまう人に「考えない様にすればいい」という考えは、通用しないのだ。





あまり考え込まない人、ものすごく考えてしまう人がいて、





なぜ自分は考えすぎる方に生まれてしまったのか。





考えすぎてしまうより、あまり考えないほうが、いくらか生きやすいのではないか。





色んな事に気づかずに生きていられたなら、少しは心も休まるのではないか。





もっと生きていきやすい頭に、なぜ生まれなかったのか。




そこに理由があるのだろうか。








「きっとある」






そう思わなければ、窒素してしまいそうになるのだ。







少なくとも、この感覚や感性で、気づきにくい人より、多くのものを見ることが出来てきたはずだ。






この感性で、出会うべき人と自分を引き合わせることが出来てきたはずだ。





これを見ているあなたとの出会いもそうだ。






それは、何にも代えがたい事であり、手に入れようと思って手に入れられるものではない。







だからこの生き方を愛す。






例え、人より多く泣くことになっても。











私はいつも、自分が何を伝えていくべきか。




そのことをばかりを考えている。