この前使った中東の航空会社から、「ホリデーパッケージ」なるお知らせがきました。

11月に12日間連続の休暇があるので、また行っちゃおうかなぁと、航空券+宿泊の様々な組み合わせを何時間も検索していました。

行き先候補は、バリ島、プーケット、日本、はたまたオーマン(Oman-ドバイの横の国オーマンについて、ChatGPTが説明してくれた文章を下方に貼り付けておきます。)

そして最終候補を決めて、クレジットカード💳番号を入れて、あともう1クリックと言うとこで、赤い文字が現れました。

「クレジットカードの請求書はTU○航空スペイン支社となります。」

え?ですよびっくり

TU○航空と言えば欧州から飛んでる安めの航空会社です。エジプトへ行った時にも乗ったのですが、非常に悪い対応をされたり、テネリフェ島での送迎でも問題がありました。

予約しようとした中東の航空会社は、文句無しですが、TU○航空にパッケージ手配を任せてるとしたら不安過ぎで、クリックを思い止まりました。。

あぶないあぶない。また問題処理に神経をすり減らす羽目になるところでした。

皆さんもクリックする前には、注意書きはしっかり読みましょう〜チュー


なので11月の旅の予定はまだ未定です。仕方ないので、Duolingoで語学学習に励んでます。6月の目標達成標語は「海の中の宝探し」だそうです↓





オーマンにもいつか行ってみたいです。

///ChatGPTが教えてくれました↓////


オーマンの歴史は非常に豊かで、多様な文化と影響を受けています。以下にその概要を紹介します。

オーマンの歴史は、紀元前にさかのぼります。古代オマーンは、重要な交易路の一部であり、特に香辛料や乳香の貿易で繁栄しました。オマーンは、インダス文明、メソポタミア文明、そしてエジプト文明と交易を行っていました。

7世紀には、イスラム教がオマーンに導入され、イスラム教徒のカリフが統治を行いました。オマーンはイスラム帝国の一部として発展し、その後も独自のイスラム教の教義と文化を形成していきました。

16世紀になると、ポルトガルがオマーンを占領し、インド洋の交易路を支配しました。しかし、オマーンの人々はポルトガルに対して反乱を起こし、17世紀半ばにはオマーン帝国として独立を回復しました。この時期、オマーンは東アフリカのザンジバルを含む広大な領土を支配し、インド洋の交易の中心地として繁栄しました。

19世紀には、イギリスとオマーンは密接な関係を築きました。オマーンはイギリスの保護領となり、英国の影響を受けながら近代化が進みました。1970年には、スルタン・カブース・ビン・サイードが政権を握り、現代のオマーンが形成されました。彼の治世の下で、オマーンは急速な経済発展と近代化を遂げました。

今日のオマーンは、豊かな文化遺産と近代的なインフラを持つ国として知られています。観光業も盛んで、美しい自然景観と歴史的な遺跡が訪れる人々を魅了しています。