気付きメモとして残す。
 
 
 
初めて一人でカレーを作ったのは、小3の時。
弟が生まれて母が入院していた時。
それ以降、なんだかんだ母の手伝いはしていた。
 
一時期はコロッケ作りにバカみたいにハマって、母の仕事帰りを待ちながらきょうだい3人で作ったり、牛丼作りにもハマってたし、会社に持ってく弁当も中身は適当だけど作ってたし、最低限のメニューは作れると自負していた20代前半。
 
 
 
ある日、お弁当のおかずの交換をしたことがあった。
「お姉ちゃんが作った卵焼き、美味しいんだ!」と、ある女性から卵焼きをもらった。
わたしは、その卵焼きが美味しいとは全く思えなくて、『これが美味しいのか、、、』と衝撃を受けた。
 
 
と同時に。
 
 
人によって『美味しい』は違う。
 
ということは、
わたしが美味しいと思って作っていたコロッケやら牛丼やら家族に作っていたおかずたちは、、、、、
 
もしかしたら本当は美味しくなかったのかもしれない。
もしかしたら、母も妹も弟も優しいから我慢して食べてくれていたのかもしれない。
 
 
と思ってしまったんだよね。
 
 
 
そこから、
『他人に食べてもらうような美味しいご飯は作れない』になった。なってしまった。
 
 
それからは、本当に申し訳ない気持ちでいつもご飯を作っていた。
「ごめんね、美味しくないかもしれない」
「ごめんね、お母さん料理上手じゃなくて」
って、本当に本当にずーーーーーーっと思いながら支度してた。
 
息子がおしゃべりできるようになってからは、
肉じゃがが美味しいといつも言ってくれてたし、ナポリタンも唐揚げも切り干し大根も喜んで食べてくれていたけれど、
『息子だから食べさせられるけれど、息子以外の人に食べてなんて絶対に言えない』と、頑ななわたしがいた。
 
 
 
20年以上そんな意識で毎日料理してきて。
 
 
 
 
今年に入って教わったクッキーや炊飯器で作るパンが思っている以上においしく出来上がって、いつもお世話になっている大好きな人たちに食べてもらいたいと思ってしまってね。
 
全く自信ないの。
わたしが美味しいと思っているだけで、他の人の口に合うとは限らないから。
 
でも、多分美味しいはずでね。←変な日本語だな、笑
 
本当に自信ないけど、でも、美味しく焼けたから食べてもらいたい気持ちは本当で、パンやクッキーを作って持って大好きな人たちに届けたんだ。
 
 
すごく喜んでもらえて、美味しいって言ってもらえて、ペロリと平らげてくれたり、持ち帰りたいと言ってくれたり、また食べたいって言ってもらえて、
その気持ちを素直に受け取るのが恥ずかしくて、
でも、すごくすごく嬉しかった。
 
 
 
こんなふうに、
わたしは20年以上も料理を通して自分を蔑んできたことを自覚した、つい最近の気付き。
 
 
なんて恐ろしい話だ。
きっかけがあったとは言え、20年以上も。
ここで切り替える。
気付いたから、切り替える。
自分が食べたいと思ったものを、自分好みの味で出来上がりをワクワクしながら作る。
それだけだ✨
 
 
 
何かを通して、何かを利用して、自分を小さく小さくしていることに気付くことの大切さ。
自虐も然り、だな。
 

 


写真は、息子に好評なチョコチップパン。