自分のために綴っています。
2.告知。わたしが闘う相手は、がん。
http://ameblo.jp/tsukiakari-hoshinohikari/entry-12057580809.html
「がんじゃないんじゃない」
そう告知を受け、本格的な治療が始まった。
26年前の治療は、
今のように通院でできる治療はまだなかったから、基本入院治療。
点滴も静脈から24時間流しっぱなし。
針を刺しっぱなしの血管は、少しずつ幅が狭まり、点滴が流れなくなってくる。
けれど、抗がん剤をとにかく身体の外に出さなければいけないから、24時間流しっぱなしの点滴は続く。
だから、血管が詰まれば、点滴の刺し直し。
わたしが入院していた病院では、ドクターしか点滴処置ができなかったので、基本的には主治医がやってくれるんだけどね、
わたしの主治医は、点滴のプロ。
そりゃそうだよね、何千回何万回って点滴処置してきているんだから。
痛いんだけど、痛くないの。
痛いよ、針刺すわけだから。
けどね、痛くないの。
先生にしか見えない血管があるんだよね。笑
スーッと針が入っていく。
さすが。
まあ、そんな治療を回数重ねるわけだから、
段々点滴がしっかり落ちる血管自体が少なくなってくるのね。
針は刺さるけど、点滴が落ちない。
血管は段々硬くなる。
腕から見える血管は、黒っぽいというか茶っぽいというか。
「この血管、今使えません」っていうのが、一目でわかる。
口から水分が摂れるのなら、すぐにでも点滴は抜いてもらえる。
たださ、初めての抗がん剤の時は、それができなくて。
かなり長い日数点滴と友達だった。
だって、
口に入れてもマーライオンになるから(笑)、身体に水分が残らない。
主治医に「最低でも500ccは頑張れ」と言われたけれど、その500が飲めない。
看護師さんに氷をもらって、少しずつ口に含むのが精いっぱい。
食事のニオイもいや
ジュースの甘いニオイもいや
歯磨き粉のニオイもいや
うっっっ・・・・と、マーライオン。笑
なんでこんな思いしなきゃいけないの?
なんでわたしなの?
こんなに苦しい思いしないと、がんてヤツは死なないの?
初めての抗がん剤治療で、そう思った。
これが、一年も続くんだよ。
「最低」だよ、最低でも一年。
・・・・・・・
治療の時は、母が沼津から千葉に来てくれたけれど、
当時弟がまだ幼稚園だったから、そんなに長く家を空けることができない。
父が家のことは一切やらない人だったから、負担は全て父以外の家族にいく。
妹のおかげで家が回っていたと思う。
初めての治療は、ずっとずっとマーライオンだし、
やっぱり、母にはそばに居てほしかったけれど、
沼津では5歳の弟が「寂しい」って泣いている。
わたしは15歳のお姉ちゃん。
「お母さん、沼津帰っていいよ。看護師さんいるから大丈夫。」
そう言うしかなかった。
母も辛いよね。
沼津からどんな思いで千葉に来て。
千葉からどんな思いで沼津に帰るのか。
寂しい時
苦しい時
逃げ出したくなる時
光GENJIの曲聴いて、元気もらっていた。
絶対にコンサートに行くんだから。
ただ、それだけ。
あとね、明星
病室には、光GENJIのカレンダーをぶら下げて、先生たちに無理矢理メンバーの名前を覚えさえていた・・・・・。笑