介護中も
介護が終わっても

同じような立場や
思いの人が
たくさん居て

文字にすると
気持ちの整理ができる私には
此処はありがたい場所でもあります


母が亡くなって
半年が経ちました

大きな地震
母の予想外の死と
2024年の幕あけは
心の痛みで始まりました

月日って
こんなに早く過ぎるのね

就寝時も
スマホを枕元に置いていた数年から
解放され

緊急の連絡が
入らない日々は

さぞよく眠れるのだろう
思っていましたにっこり

昼間はバタバタと
過ごせますが

やはり 
一日の終わりの
ホッとする就寝時に
あれこれ
思い出したり
悔やんだりで
眠れない日も…


若いときは
眠れないー?なにそれ真顔
っておもってました

 
「呼吸もなく
心肺も停止しています」
真夜中の
入院先の病院からの電話で飛び起き
かけつけた処置室

そのときの
亡くなった瞬間のままの
母の顔が
ずっとずっと消えません

三が日明けには
退院の説明が
あるはずでした

あんなに毎日
後悔の無いようにと
過ごして来たのに

真っ先に浮かぶのは
ごめんね…という言葉

以前とは違い
最近はためらわずに

眠れない夜は
処方された入眠剤をつかうように
しています
睡眠不足のほうが
ダメージなお年頃真顔

もう
飛び起きて
車で向かうことも無いのですからニコニコ
そしてこの名残り?

お酒を呑んでしまうと
🚗で駆けつけられなくなるので
辞めていた晩酌

再開することもなく
というか
欲っさなくなりました
そのおかげなのか?
身内では珍しく肝臓の数値良い私爆笑


不思議ですね

父が亡くなったときは
まるで自分が
父の母親のような
見護る気持ちにもなっていた

その反面
私を導き
無条件で愛してくれる人を
失ったと思いました

喪失感しかなかった

母のときは
それとはまた別に
自分の心と身体の一部を
もぎとって逝ってしまった
そんな気がします

きっと
独りで逝くのは
寂しかったのでしょう
むしろ独りで
逝かせたくはなかったので
それもいい

でも

失ったぶん
心と身体の別の部分が
軽くなったような気もするのも
事実なのです

それは
もともとひとつの身体ゆえの
母の最後の母ゴコロなのかも

半年経ってやっと
あとまわしにしてきたこと
今までできなかったこと
したかったこと
そのぽっかりとできた隙間に
埋めていこうと思えてきました

(๑و•̀ω•́)و 欲張らず
一個ずつ
今日やろうの一片を



長くなってしまいましたねニコニコ
衝動買いで車🚗購入した長い言い訳真顔
一片デカすぎじゃね?

最後まで寄り添っていただき
ありがとうございます

今日はこの辺でルンルン


へー、こんな映画もあったんだニコニコ

見てみよっ