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数日前の記事で、良いか悪いかは別にして、アーティストは他の人と少し違った感性を持っている事が多いと言う話をしたが、僕自身、諸にそれに該当する。
僕が既存の物ばかりに満足する様な感性だったとしたら、おそらく、アーティストなんて生き方はチョイスしなかっただろう。
それはすなわち、アーティストの創作する作品は、世間の理解が得られにくいものが多いと言う事を意味していると言う事でもある。
少し長くなるが、僕の子供時代の話を前置きとして話しておきたいと思う。
僕は子供の頃からそうだったのだが、自分が興味を持つ物には、あまり誰も興味を示さない事が多かった。
そして、他の子が楽しいと言う物が、楽しいと思えない事が多い、そんな子だった。
一番、分かりやすい例で言うと、僕は、この年代の日本人では珍しく、野球と言うものを一度もやった事がない。
最近はサッカーに押されつつあるが、元々はこの国の少年達の定番スポーツと言えば長年に渡って野球だった。
ソフトボールくらいなら体育の時間でも行う競技なので多少の経験はある。
野球も人気だが、ソフトボールも皆大好きで、体育の授業のソフトボールの時間なんて、明らかに他の競技を行う時と空気が違ってたのをよく覚えている。
ちょっとした空き地と空き時間があれば、本格的な道具なんてなくても、すぐに棒切れをバット代わりにしたり、布や紙を丸めて即席ボールを作ったりで、模擬野球が始まる。
公園で遊んだりしているとすぐに誰かが、プラスチックのバットに、当たっても危なくないプラスチックのボールやゴムのボールを持ってきたりして、野球が始まる。
本格的ではない、こういった野球には僕もよく参加はしていた。
しかし、口に出した事はなかったが、正直な所、僕はそれが楽しいと思った事はなかった。
誰かが野球(っぽいもの)を始めようと言うと、心の中では「またか」と言う思いが沸き起こり、面倒臭く長い時間が始まると言う覚悟を決めるのが、いつもの僕の心の中だ。
あとは、ひたすら終わるのを待つだけだ。
そんな時、僕は、その心理を口にもしないし態度にも勿論出さない。
皆で何して遊ぼうと言ってる時に、僕が「これをしよう!」と提案しても、時折友達は容赦がない。
「そんなものしょうもない!野球やろうぜ!」と、本音をズバリとぶつけられる事も珍しくはない。
しかし、僕は、こんな場面ではいつも、我がまま言わずにいつでも皆に合わせてきた。
そして、友達と遊んでて、どんなに僕が楽しいと思ってる遊びであっても、「野球しよう」と言う一言がどこかからかかれば、その遊びが途中であれ、皆、一目散に野球の方へ行ってしまう。
僕には、それが不思議だった。
どう考えても、僕には今遊んでる遊びより野球の方が面白いとは思えないのに、皆とってはそうではないのだ。
因みに、僕は別に運動音痴ではない。
上手くいかないから、下手だから嫌だったって話ではない。
その魅力が一切理解出来なかったって話だ。
高校野球など、応援するチームがあれば、野球は見ていて面白い。
しかし、自分がやって面白いとは思えないのだ。
グローブをはめて、軟球や硬球でいわゆる「野球」と言うものをやった事はなかったが、ソフトボールや野球もどきの遊びを面白いと思った事がないので、野球そのものに興味が湧く筈もない。
野球の場合は、皆が好きな物をあまり好きではないと言う例になったが、皆が好きなものをいつも嫌うと言う様な事ではない。
僕の場合、皆との微妙なズレがしょっちゅうあると言う話だ。
皆が面白いと思うものを自分も面白いと思う事は当然ある。
しかし、その中身を細かくみていくと、やはり皆とは少し違うのだ。
例えば、子供の頃に皆で集まってトランプをしたなんて思い出は大抵の人があると思うが、僕達も、そういう遊びはよくやった。
トランプ自体は、その場にいる皆が好きだし、楽しいと思って参加している。
しかし、トランプと一口に言っても、いろいろなゲームがある。
そんな中、皆から人気があるゲームは、僕にとってはそこそこに過ぎず、僕が面白いと思っているゲームは皆には、あまり面白くなかった様で、微妙なズレはそこにもあったのだ。
トランプのゲームくらい、「次、何する?」などと言った時に自分がやりたいゲームを言えば、皆、「嫌だ」とは言わずにやってくれる。
しかし、明らかに他のゲームより盛り上がっていないのだ。
そして、それを連続で「もう一回やろう!」などとはならない。
この空気は読みやすく、自分だけちょっと趣味が違うと言う事に気付くのは容易な事だった。
そう言えば、昔から、音楽でも皆が良いと言う大ヒットしたアルバムを自分もいいと思って買って、流石に大ヒットしているアルバムなので今度は皆と一緒にその話で盛り上がる事が出来ると思っても、その中で一番いいと思ってるナンバーが、僕一人だけ違うって事も多かった。
いつも、特に否定も賛同もされない微妙な線をついてしまうのだ。
時折、こんな感性の人間が音楽なんて志して、皆の理解なんて得る事が出来るのだろうかと不安になる事もある。
僕が子供の頃はまだテレビゲームなどなく、ゲームと言えば、アナログなものばかりだった。
人生ゲームや野球盤や黒ひげ危機一髪など、当時の大ヒットゲームは今でも有名で売られている様だが、当時は、もっともっといろんなゲームが考案・開発されて星の数ほどのゲームが発売されては、消えていった。
そんな中、誕生日プレゼントを親に買って貰うのに、おもちゃ屋でこれは面白そうだと思うゲームを選んで買って貰っても、友達も兄も一切反応せず、誘えば一応付き合ってくれたりはするのだが、全然盛り上がらない。
僕も、そんな空気で誘うのは辛いし、せっかく買って貰った親にも申し訳ないので、その複数で遊ぶゲームで一人で遊ぶ。
本来、一人では出来ないゲームなので、やるうちに違う遊び方で独自のルールが出来て行く。
完全に一人だけの世界だ。
僕は、幼い頃からずっと、気が付けば一人の世界に入り込んで、黙々と一人で遊ぶ事が多い子だった。
元々のその性格のおかげで、本来無駄になる筈のゲームもそれなりに楽しめたのは良かったと思う。
そして、今も、黙々と一人で自分の世界に入り込んで、自分のやりたい事をやっているのは、幼少期そのままだ。
僕は、子供の頃からよく大人達や友達から変わってると言われ続けてきた。
それでも、僕は自分が変わってるなんて思った事は1度もなかった。
しかし、30代半ば頃だろうか。
もしかしたら、少し変わっているのかもと思い始めたのは。
どうにも、思い当たる節がありすぎる。
普通に誰でも持っている考え方だと思って話しても、時には斬新だと言われてみたり時には完全否定されたりで、皆誰もが普通に持っている感覚だと思っていたものが、変だと言われたり、自分だけのものだったりと言う事が多過ぎるのだ。
仕事で、何かしら重要な打ち合わせや会議があって、その場で意見を発表しても、一人だけ全然違う意見だったりと言うのがあまりに多過ぎて戸惑う内に、流石に、少し変わっているのかもしれないと思う様になってきたと言う訳だ。
でも、その考え方が疎外されずに話を聞いて貰えたり、採用されたりする事もけっこう多かったって事には感謝している。
勿論、その背景には空気を読みながらある程度、口にしていいかどうかのコントロールはしてきたと言うのはあるのだが、皆と違うからと言って、仲間はずれにされる場合もあると言うのに、その辺りは、周りの人達に感謝しなければならないと思っている。
こう言った、感性が少し違うって人は、音楽アーティストに限らず、アーティスト全般に共通した事だと思うし、発明家にも多い様だ。
発明家・アーティスト(芸術家)の共通点は、世の中にない全く新しいものを生み出すと言う点だ。
人と感性が違うからこそ、それが生み出せるのだろう。
生み出したものが、良いか悪いかはまた別の話で、生み出せるから素晴らしいって話でもないし、そんな事を主張している訳ではないので、そこは誤解しないで欲しい。
そもそも世の中に現存するものに満足して満たされてる人に、創作意欲なんて湧かないと思う。
あんなのが作りたい=あれの真似がしたいと言う意味の創作意欲が湧く人は多いと思うが、そういう創作意欲から生まれたものは、創作意欲でもなくそして創作でもアートでもない。
そこから始まる事は確かに多いが、そこから脱皮するまでは、まだアーティストと呼べる段階ではない。
そして、前にも書いたが、自分がどう思うかも関係ないし、世間が認めているかどうかも関係なく、そういう創作の仕方をする人はアーティストではない。
それはただ単に、凄いアーティストに憧れて、スターのモノマネをしているだけの人だ。
世間からアーティストだとか天才だとか言われて様が、評価とは関係なく、天才でもなければアーティストですらない。
本来、アーティストは孤独なものなのだ。
友達が多い少ないとか、人気があるないと言う意味ではない。
周りと感性が違うと言う事は理解者がいないと言う事でもある。
そういう意味の孤独だ。
これは、アーティストが逃れられないものであり、その孤独を背負うのはアーティストの宿命とも言える。
前にアーティストと孤独の話を記事にした事があるが、その孤独の意味と今回のアーティストが持つ、逃れられない孤独とはまた違うものだ。
アーティストと言う人種は、世の中にないもの、すなわち、現時点まで世の中が欲して来なかったものを欲してきた人達だ。
それを自分の手で形にしようと言う人達がアーティスト達だ。
そんなものを即、世の中に発表して誰が認めてくれると言うのだろうか。
大抵の場合、誰も理解を示さない。
それを理解して貰うには、前にも書いたが、理解して貰える立場になる必要があるのだ。
それまでは、孤独の中に身を置き続けなくてはならないのが、アーティストの宿命だ。
それには地道な努力が必要だ。
そうするうちに少しずつ、理解者が出てくるのだ。
パッと作品を聴かせて評価が得られないからと言って、それが結果だと嘆く必要はない。
音楽なんて、聴く姿勢・聴く時のスタンスや環境、そして心の持ち様によって、評価は変わるものなのだ。
「たかだか無名の人間」だとか「素人の作品」だなんて、フィルターをかけて聴いている人の耳には、どんないい作品を届けても、理解など得られはしない。
そのフィルターを外して正当な評価が出来る人間は、一部の限られた人達だけだ。
しかし、地道に聴かせ続けて、自分の知名度が上がった時には世間の評価は同じ作品でも全く変わる。
そういう様は、何度も見てきたので間違いない。
ひとたび「そんな凄い人だったの!?」なんて事になれば、以前聴かせた時とまるっきり評価は変わるものなのだ。
それが人間であり、世の中なのだ。
アーティストとは、趣味・感性がマイノリティー(少数派)で当たり前なのだ。
孤独とはセットで当然なのだ。
僕も幼少の頃から、感性がマイノリティーで、いつでも孤独を感じて生きてきたのは本当の話だ。
サッカー選手がボールと友達なら、アーティストは孤独が友達と言った所だろうか?(;´Д`)ノ
孤独と上手く付き合っていけるかどうかは確かに重要なポイントと言える。(・_・;)
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