2年前に、息子が結婚式をしました。お嫁さんは、学生時代のアルバイト先で、知り合い、その後も、挫折の多かった息子を精神面から、支えてくれた、いいお嫁さんです。息子も、何度か落ちた試験に合格したタイミングで、プロポーズして、同居を始め、落ち着いてきたので、式をしたいということでした。その時、私はまだ自宅療養中でした。式の段取りも決まり、息子から、式の最後にあいさつをして欲しいと依頼がありました。仕事柄、挨拶もすることもおおく、媒酌人なんてことも、何度かさせられてました。参加者は、いまどきの結婚式らしく、上司とかはいなく、双方の親類と、友人たちだけでした。なんら問題はないとおもいまして、まずは、話す原稿を作りました。一生懸命に、作成して、出来上がり、前日に家内にみせたら、すごい剣幕で、叱られました。私の身体のことを言ってはいけないと。見れば誰だってわかるのにと思いましたが、だめかと納得しました。

当日、貸衣装のモーニングも、1人では、無理なので、式場の方に、着せてもらいました。情け無い格好です。式が始まりますが、本来、父親がすべき、参列者へのご挨拶も出来ず、家内が代行してくれました。私は座ったままでした。式も、進み私の挨拶の時となりました。前日、作成した原稿却下でしたので、家内が、プリントアウトして、その場で読むことを指示してくれました。挨拶が、始まると、妙に緊張しました。身体も震えてました。、となりの家内も緊張してました。なんとか、心を込めてよ読んでいき、最後のくだりになりました。前にみえる参列者のみなさんもこんな私のあいさつを聞いてくれてます。なんだか、情けなさと、颯爽とできない自分に悔しさが、湧いてきました。込み上がった思いが、我慢出来ず、思わず、「こんな恥ずかしい身体の父親でございますが、命より大切な息子と、彼が、、心から愛した、〇〇さんにくれぐれも、暖かいご支援を賜りますよう宜しくお願いします」と涙ながらに叫んでしまいました。隣の家内は鬼の形相です。全てが終わったと思いました。そのあとも、何とか締めの御礼は、おはなしして、私の挨拶は終わりました。家内の、きついお説教も受けて、貸衣装を脱ぐために、また、式場の方に、お助けいただいた時に、その方から、大変素晴らしいご挨拶でしたよ。感動しましたと、言っていただきました。私の挨拶について、以降、息子にも、お嫁さんにも、誰にも聞いてはいません。ただ、私は、後悔していません。万一娘の結婚式があつても、家内は、私に挨拶は、させてくれないでしょう。でも、もう考えません。この障がいのある身体は、ずっと私に、離れずに着いてきます。永久に離れられません。誰の面前でも、堂々と言える人でありたいと思います。それが、私の息子の結婚式での記憶です。