さて、家内とは、仲直りできました。今日も挫けず、生きます。

わたしは、障がい者になるまえに、京都2年、大阪11年、単身赴任しておりました。その間の私のグルメ経験についてお話しします。私は、田舎者なので、京都の方からみると、馬鹿にされやすい部類です。当時の、上司が、2人いましたが、は2人とも、京大出身だっこともあり、かつ彼らから、評価されてなかったので、あまりいい思い出はありません。祇園には、行けませんでしたし、せいぜい、居酒屋チェーン店のがんこの3条にある、お店は、山県有朋の別宅だったとかで、趣深いお店でした。あとは、清水寺に向かう、清水道という、小さな坂道の手前にあった、小料理屋さんによくいきました。おかみさんが、かつては、祇園で有名な方だったそうで、お客さんは、すごい方ばかりでした。私のような貧乏サラリーマンに配慮してもらい、どんなに飲み食いしても、会計は3千円といわれて、ありがたく思ったものです。あとは、会社のラグビー部のOBに教えてもらった、10条にあった焼きトン屋さんは、入口に、ぶたの頭があり、毛のある豚足や、生の豚肉ホルモンなんかメニューにあり、恐る恐る食べました。美味しかったです今はあるのかわかりませんないかな。

大阪には、11年もいました。住まいが環状線の桃谷駅近くとディープなところでしたので、満喫しました。部下もコテコテの大阪弁で、今はもう死語のでんがなまんがなを話す輩もいて、楽しかったです。近くの鶴橋駅は、焼肉で有名ですが、たくさん行きました。特に記憶にあるのは、環状線の高架下近くにあった焼肉屋さんで、コのじ型のお店で、ロースターで、焼いて食べるのですが、メニューがなく降参というまで出てくるところでした。地元の方でいっぱいで、私の隣りの、こわもての二人組がおられて、その一人が、どうも子分のようで、手を見たら、小指がなかったので、それからは、たべてる心地が無くなったことをよく覚えています。お好み焼きも桃太郎という、おばあちゃんがやってるお店が、とても美味しかったです。やはり、大阪の粉物は、全く美味しさが違います。家族も、絶賛していました。難波の近くのたこ焼きも美味しかったです。たべたいなあ。最後のころは、通天閣近くに職場があり、いろいろ、楽しみました。どうも、この地域は、大阪の人が、敬遠しがちな地域らしいのですが、わたしは、ディープ大好きなので、チャレンジしていきました。楽しかったなあ、西成区のお店にも、何度も行きました。何処も本当に美味しいところばかりでした。安かったし。でも、お店のそばで、おっちゃんが、シューズを片方だけ、500円で売ってられるのには驚きました。今は左半身麻痺の障がい者ですので、左足のシューズだけがくたびれて、病院で、片方だけ買いますけどね。最後の3年間は、堺市や岸和田市が職場でした。よく記憶してるのは、堺の80代のご夫婦で経営されてた、おでん屋さんです。これもメニューはなく、出てきたら食べる手法でした。お二人とも、とてもいい方でした。家内も

連れていきたかったと思います。岸和田では、カンカン場というところから、だんじりを拝見しました。いい思い出です。鶴橋の近くの、韓国通りにも近いので、良く出かけました。キムチも茹で豚も美味しかったです東京には、ないところでした。障がい者「なるのがわかっていたら、もっと楽しんでいたかったですね。少し後悔します、涙