カンボジア 負の記憶 ~本当の意味で知るということ~
サイゴン(ホーチミン)から国境を越えて、カンボジアの首都プノンペンまでやってきた。
プノンペンは首都であるのものの、見所が少ないため、
多くの旅行者は、アンコールワットのあるシェムリアップへの経由地と認識している。

意外と綺麗だったプノンペンの中心街

綺麗なショッピングセンターもあり、僕が思い描いていたプノンペンのイメージとは違っていた
僕も王宮や寺院、国立博物館には興味がなかったが、行きたいところが2つあった。
『トゥール・スレーン博物館』と『キリング・フィールド』だ。
1975年から3年8ヶ月に及んだポル・ポト政権下で、恐怖政治(無謀な社会主義改革)が敷かれる中、
たったの4年弱で、国民の1/3にあたる200万人もの命が失われた。
上記の2つは、その残忍なる虐殺の場となった現場である。
殺害されたのは主に、敵対していたロンノル派(前政権)の人間や知識人、技術者、そしてその家族だった。
実は、この日はベトナムの戦争証跡博物館の翌日だったため、正直気は重かったが、
今しか行ける機会はないと思い、1日で2つの負の遺産を周ってきた。
≪トゥール・スレーン博物館/Capitol GHから徒歩20分/入場料US$2≫
元々学校だった建物を監獄として使用し、今分かっているだけでも2万人の命がここで失われた。
ほとんどの人が罪無き人々で、酷い拷問の末、処刑されたという。
内部は4つの棟からなり、独房や拷問器具、当時の様子の絵や遺品などが展示されている。
館内には、なんとも言えない負のオーラが立ち込めており、言い方は悪いかもしれないが、本当に不気味。
公開されている部屋はどこも薄暗く、寂しいというか、孤独感を感じてしまうような雰囲気だった。
興味本位で覗いてしまった閉鎖部屋には、なんと床にまだ血痕が残っており、
拷問や虐殺が最近の出来事であったことを強く物語っていた。
見学途中、若干の気持ち悪さを感じながらも、何とか見学を続けていたが、
有刺鉄線で囲まれた独房棟(C棟)の2階の独房に入った時、
僕は今まで以上の強い吐き気を感じてしまい、それ以上見学することはできなかった。
ここまでリアルに拷問と虐殺を感じてしまった場所は、初めてだった。

外観

元々学校ということで、造りは校舎そのもの

A棟の通路

拷問部屋

拷問器具と拷問の様子

外にあった運動器具の鉄棒は、拷問器具へと変わってしまった

館内に展示されていた囚人達の写真

虐殺された人達の頭蓋骨と慰霊

C棟は自殺防止のため、有刺鉄線で囲まれていた

1階はレンガ造りの独房、

2階は木製の独房が並んでいた。この後、独房の中を見学し、強い吐き気を感じてしまった。

外に出たときに見上げた青空がとても綺麗だった。当時の囚人達は、どんな気持ちでこの空を見上げたのだろう。
≪キリング・フィールド/市内からバイクタクシーで20分/入場料US$2≫
トゥール・スレーン博物館を見学後、ちょっと休んでからキリング・フィールドへ。
キリング・フィールドとは固有名詞ではなく、当時虐殺が行われた現場の通名である。
そのため国内にはキリング・フィールドと呼ばれる場所がいくつかあるが、プノンペン近郊のここが最大。

GH前の客引きで、一番人が良さそうだったバイタクに声をかけた。値段は往復でUS$5と適正だった^^

市街から10分も走ると、辺りはもう田舎風景に・・・
入場料を払い、敷地内に入って一番初めに目に付くのが、大きな慰霊塔。
塔の内部にはここで発見された9000近くもの頭蓋骨が安置されている。

慰霊塔

頭蓋骨は性別・年齢別に安置されており、子供のものも多かった
塔の周囲には無数の穴があるのだが、これは遺体を掘り起こすときに出来たもの。
当時、この穴の周りで囚人は虐殺され、穴の中に埋められたのだという。
アウシュヴィッツを見学した時、大量虐殺に使われたチクロンBという毒ガスを見たが、
ここでの虐殺の方法は、撲殺・・・。

地面に無数にあいた穴

当時の様子を再現した絵
それを聞いた時、僕は悲しみよりも人間の怖さを感じてしまった。
本当に人間とは惨いものだ。
今ここに何の不自由もなく立っている自分に、幸せを感じずにはいられなかった。

何百もの遺体が発見された場所

安らかな眠りを祈るばかりである
今回、ベトナムからカンボジアへと負の記憶を3つ続けてみたが、本当に気が参った。
戦争と恐怖政治という、性質の違う背景ではあるが、共通している部分もある。
①本来であれば国によって守られるはずの国民の命が、国のせいでたくさん失われていること
②その影響が今も続いていること
2つの出来事の今への影響とは、
ベトナムでは枯葉剤被害、カンボジアでは現国民の半数が20歳以下(40代以上が極端に少ない)であること。
今まで、欧州やアメリカ大陸で、“負の遺産”と呼ばれるものをいくつも見てきたが、
ここまで今に繋がる悲劇を目の当たりにしたのは、初めてだった。
学生時代に授業で習い、知識としては知っていたが、
それは知った気になっていただけで、実は何一つ現実を知らなかったのだということに改めて気づいた。
自分が今まで知っていると思い込んでいる知識を、いろんな角度からもう一度見なければならない。
深い悲しみと共に、そう感じたプノンペン観光。
ちなみに、上記の場所以外では、Capitol GH近くのオルセー市場とその周辺が面白かった。
オルセー市場は食料品はもちろん、日用品から専門分野のモノまで、何でも揃う大衆市場。
その周りには青空市場もあって、久しぶりに熱気と活気のある市場を見ることが出来た。
オルセー市場の中では食堂街もあるので、腹ごしらえにぜひ!!








プノンペンについては、早いですがこれにて終了!!
お次はいよいよ、東南アジアのハイライト・アンコールワットです^^
≪サイゴン→プノンペン移動≫
移動日の午前中に戦争証跡博物館へ行きたかったため、昼便を利用。
シンカフェのバス(US$10)が朝6:30にしかなかったため、
近くのDelta Adventure Toursの13:30のバス(US$10)を申し込んだ。
カンボジアのCapitol Tour運行のバスなので、到着はCapitol GH前。
バスは朝から昼過ぎまで数便あり、プノンペンまでは所要6時間。
カンボジアビザは国境で取得可能で、料金はUS$20。
バスの中ではUS$25(たぶんサービス料分が加算)と請求されたが、
自分でやると言ったらパスポートのみ回収された。
ベトナム国境でパスポートは返却され、カンボジア国境は自分で手続き。
VISA申請書(要写真1枚)を記入し、その場で即時発行。

サイゴンからのバス

車内に外国人観光客は4人だけで、その他はみんな現地民
≪プノンペン→シェムリアップ≫
Capitol Tourが1日8本運行。
所要6時間で、料金は2万リエル(US$5)。
到着はシェムリアップのバスターミナルで、町の中心までは5kmほど。
僕はバイクタクシーを利用し、Chenla GH(タケオの隣)前までUS$2だった。
正規価格なのかは・・・知らん(笑)

Capitol Tourの時刻表&料金表

バスの中ではずっとカラオケのような映像が流れていた。何が面白いのか分からなかったが、みんな笑っていた。
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