モーセを辿る旅 最終話・シナイ山 ~ファッキンエジプシャン添え~
『旧約聖書』の『出エジプト記』によれば、
モーセはイスラエル人のレビ族の父アムラムと母ヨケベドとの間に生まれた。
当時、イスラエル人はエジプトで奴隷として使役されていたが、
モーセは数々の妨害を打破して、彼らをエジプトから連れ出すことに成功した。
シナイ山で神から十戒を授かってイスラエル人に与えたので、立法者と呼ばれている。
モーセとイスラエルの民は、40年もの間シナイ半島の荒野をさまよい、
約束の地カナンにたどり着くが、モーセ自身はカナンを目前にして120歳で没した。
By wiki
最近、なにかとウィキを多用してすいません。
勝手に命名しました、モーセを辿る旅。
僕はこれまでモーセにまつわる場所を2つまわって来た。
ひとつは生まれた場所、エジプト(今のルクソール、カイロなど様々な説あり)。
もうひとつは、モーセが死んだとされるネボ山(ヨルダン)。
そして、今回はそのラストを飾る場所に行って来ました。
その名も、 『シナイ山』
さて、この名を聞いて、ピンときた人は何人いるでしょう・・・
実際、僕はこの旅をするまで知りませんでした(笑)
シナイ山はモーセがかの有名な『十戒』を授かった場所とされ、
ユダヤ、キリスト、イスラムなど各宗教において非常に重要な場所となっている。
滞在中のダハブからは簡単にアクセスができ、シナイ山の山頂で朝日を見るツアーが一般的。
ダハブからシナイ山の麓まで2時間強の道のりです。
ダハブ市内の各ホテルでメンバーをピックアップし、いざ出発と思った矢先・・・
いきなりハプニング発生。
バスの席が一つ足りない。
バスは15人乗り。
そこに日本人7名、韓国人1名、カナダ人2名、フランス人4名、エジプシャン2名。
※エジプシャンは、ドライバーとガイドと思われる人
どう考えても1名多い(爆)
ということで、細身の日本人が犠牲となることに・・・。
※欧米人女性もいたが、どうみても体が僕らよりでかい
用意されたのは、通路にバックを置き、その上に座布団を敷いただけの簡易椅子(!?)。
しかも、元々通路だったために、背もたれなし。
おいおい。
これは、完全に腰が終わるだろ。
そう思った僕たちは、一応『We can't』と断るも、
『これしか方法がないんだ』と、向こうも一向にひかない。
これ以上何を言っても話が前に進まなそうなので、しょうがなく席につく。
生贄の席には、エルサレムで会い、ここでも仲良くさせていただいているYUさんが座る。
※ちなみに僕は生贄の席の隣。車輪の上+定員オーバーのため狭い。
生贄の席の乗り心地といったら、もう・・・

こんな感じだそうです
道中YUさんと、『普通あのエジプシャンのガイドがこの席だろ』と文句を言いながらも、
なんとか2時間強を乗り切る。
目的地のシナイ山麓に着くと・・・
さっそく、ガイドと思われたエジプシャンはその場を去っていった。
???
そう、あのエジプシャンはただ同じ方向だったから乗っていただけの人だった。
マジFUCK!!
心の底からそう思えた、午前1時半。
麓からは特に問題もなく順調に終わりましたが、
あのエジプシャンだけは許せねぇ~。
なぜお金を払っている僕らが狭い席に座り、
地元の訳のわからない人が快適な席に座るのか。
まあ、こんなことエジプトではいつものことですが・・・
ふぅ~。
ちなみに、シナイ山のツアー自体は、非常によかったです。
満天の星空を見上げながらの3時間の登山。
頂上で見た、朝日が上るまでに刻々と変わる風景。
とっても充実したツアーでした。

登山開始は1時半くらい

道中はラクダがいっぱい。要注意。

こんな道を上り下りします(これは帰り道に撮影)

自分の星座をこんなに大きく見たのは初めて

頂上にて朝日を待つ
そして・・・


明けましておめでとうございます!!

本年も何卒よろしくお願いいたします!!
日の出を見ると、すぐ初日の出だと思ってしまうのは、なぜでしょう(笑)
まあ、初日の出ではないものの、とっても綺麗な朝日でした。
その後は麓の修道院を見て、ダハブにはお昼前に戻ってきます。
シナイ山はサイコーだったけど、あのエジプシャンだけは・・・
そんなシナイ山。
これにて、モーセを辿る旅は終了。
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