白く灰になった日 ~パレスチナ自治区ヘブロンとベルツヘム訪問、安息日のユダヤ人街~
突然ですが、みなさんはパレスチナ問題についてどのくらい知っていますか?
最近はこの手のニュースを日本ではあまり聞かなくなったが、
昔よく耳にしたのは、PLO、アラファト議長、パレスチナ難民などか。
僕が今回イスラエルに来た一番の目的は、宗教の聖地巡りではない。
このパレスチナ問題の現状を直に見るためだ。
といっても、パレスチナ問題に詳しいわけではなく、
知識としては学生時代に習った基本的な情報と、
アンマンで出会ったSさんから頂いたパレスチナ問題の本を熟読した程度。
ただ、同じ時代を生きるモノとして、パレスチナの今を知りたかった・・・
※パレスチナ問題を詳しく知りたい方はこちら
今日のブログも長いです。ゴメンナサイ。最近、記事を短く出来ない・・・
まず僕が訪れたのは、ヘブロンというエルサレムから南に位置する街。
ここはつい最近まで、イスラエル軍とパレスチナ人がいざこざをしていた場所であり、
エルサレム近郊の街の中で、最もパレスチナ問題に触れることができる街だと聞いた。
エルサレムからアラブバスに乗り、ヘブロンに着くと、そこには整備された美しい街が広がっていた。

分断する壁やイスラエル兵の姿は見えず、とても落ち着いた喧騒だった。
ここがヘブロン??と思ってしまったが、どうやらここは新市街らしい。
バスを降りた場所から20分かけて旧市街へ歩く。
旧市街が近づくにつれ道は細くなり、ごちゃごちゃし始めた。
奥に見えたスークを抜けると、そこには地下道のような道が続き、道の両側にはお店が軒を連ねていた。


ヘブロン旧市街のパレスチナ自治区内には、アブラハムを祀ったモスクがあるため、
パレスチナ自治区へと繋がるこの道は、モスクを見るための観光客もたくさんいる。
モスクには適当なセキュリティチェックを受けるだけで簡単に入れた。

さて無事モスクまでたどり着いた僕だったが、もちろんこのモスクには興味はない。
興味があるのは、壁の内側の街の様子である。
モスクから坂を下り、パレスチナ自治区とイスラエルの境界線まで行ってみる。

このブロックの右側がパレスチナ、左側がイスラエル
写真に写る親子はパレスチナ人で、このブロックから向こう側にはいけないらしい。
街中には手に銃を持つイスラエル兵がたくさんおり、あたりを見渡している。
街の様子は下の写真のとおり、廃墟のような印象。


道に面するお店は全て閉まっており、人の気配がない。
壁の中でガイドをしてくれた青年の話によると、
治安が良くなく、理不尽なことが起きるので、みんな違う場所に居を移したらしい。
つい最近もイスラエル兵が突然発砲し、パレスチナの人が怪我をしたという。
発砲の理由はなく、突然の出来事だったという。
戦争の緊張がある街というのは、こういう雰囲気なのかなと感じ、
深い悲しみと虚しさがこみ上げてきた。
この他にも、イスラエル人が階下のパレスチナ人にゴミを落とすために設置されたフェンスや、
イスラエル軍が突然やってきて道を塞いでしまったという場所を見学した。




市民の生活は、いつもイスラエル兵に見られている
歴史の教科書やTVのニュースでしか知らなかったパレスチナ問題の現状を目の当たりにした。
ヘブロンの次に僕が向かったのは、ベツレヘム。
ここはキリストが生まれたとされる街であり、キリスト教の聖地・生誕教会がある。
もちろん、ここでも僕の目的はこの教会ではない。
ベツレヘム市街北に徒歩で通ることができるチェックポイントがあり、
有名なシャロンの壁(イスラエルとパレスチナ自治区の分離壁)を間近で見ることができるのだ。
まずはせっかく来たので、街の中心にある生誕教会やミルク・グロットを見学。

生誕教会

教会内部

この星の地下でキリストは生まれたとされている

ミルク・グロット
エルサレムでもたくさんの聖地を見てきたが、やはりそこまで興味が持てないらしい。
僕は、現在進行のモノ(嘆きの壁、パレスチナ関係)には興味があるが、
過去のモノ(聖墳墓教会、岩のドームなど)には興味がない、ということが分かった。
まあ、無宗教なので当たり前か。
30分ほどでさっと見学をし、いよいよ壁へと向かう。
ベツレヘムの中心から壁までは3kmほどあり、徒歩で45分くらいの道のり。
壁はかなり大きいと聞いていたので、もっと遠くから見えるものかと思っていたが、
直前になるまでほとんど気づかなかった。

分離壁
壁の近くまで行ってみると、たくさんの落書きがあった。
平和を祈るものから、ヨルダン川西岸は全てパレスチナのものだといった過激なものまで。

壁の上には有刺鉄線が張り巡らされ、数十メートル置きにカメラが設置されていた。
チェックポイントは、車用と歩行者用があり、どちらも物々しい雰囲気。

歩行者用ゲート
ちなみにこのゲート、パレスチナ側からの移動に対してはチェックがとても厳しく、
緊急車両(消防車、救急車)であっても例外ではない。
イスラエル側から観光バスがほぼノーチェックで入ってこれるのにも関わらず・・・

ほぼノーチェックの観光バス
壁の中の暮らしの厳しさ、つらさはユダヤ人が一番知っているはずなのに・・・
と、思わずにはいられない光景だった。
さて、ここまででも十分神経を使い、精神的にやられていたが、、
エルサレムに帰ってから、僕に追い討ちが降りかかる。
ベツレヘムからの帰り道、明日、紅海沿いのエイラットに移動するため、
バスのチケットを事前に買おうとバスステーションへ。
ただ、この日は安息日だったため、バスステーションもクローズ。
無駄足だった・・・
ほんとに敬虔だよね、ユダヤ人。
その帰り道、昨日嘆きの壁で話したユダヤ人から、
新市街北部に敬虔なユダヤ人が住む地域があると言われたのを思い出し、ちょっと寄ってみることに。
この軽い気持ちがいけなかった・・・
メイン通りに着くと、安息日ということで着飾ったユダヤ人がたくさんいた。
そう、たくさん。
ユダヤ人だけがたくさん・・・
他の宗教者は一人もいない。
男女とも服装は黒か白を基調にしており、Gパンなんて僕だけ。
あきらかにこの街の空気が僕を拒絶していた。
もちろん誰も僕に近づいてこないし、目もあわせない。
まるで空気のような存在だった。
そう、彼らからしてみれば、僕はここにいないのだ。
空気が痛かった。
ただ歩いているだけなのに、どんどん精神がやられていく。
例えるなら、学校の全員からシカトされてる気分か。
もちろん、僕は彼らの安息日を邪魔する気はないし、写真を撮ったりするわけでもない。
それでも、僕が感じた彼らの拒絶心は相当なものだった。
僕は過去類を見ない早足で通りを駆け抜け、旧市街方面へと向かった。
その間は何も考えることが出来ず、ただ一心不乱に歩いた。
メイン通りを抜け、ホテル近くまで来たとき、道端に一人の黒人を見つけた。
そこで初めて足を止め、大きく深呼吸をした。
深呼吸をし終わると、額から流れ落ちる大量の汗と喉の渇きを感じた。
ホテルに帰ると、僕は“白い灰人”になっていた。
ホテルで仲良くさせてもらった日本の方曰く、話しかけられる雰囲気じゃなかったらしい。
たしかにホテルに帰ってから数十分の記憶がない。
本当に衝撃的な一日だった。
≪各都市へのアクセス≫
ダマスカス門 → ヘブロン 21番直通バス 14シュケル 40分
※21番の全てがヘブロンに行くわけではないので、行き先を確認する必要あり
ヘブロン → ベツレヘム 旧市街スーク出口よりセルビス 8シュケル 40分
ベツレヘム → ダマスカス門 市街北のチェックポイント外より124番 4.5シュケル 20分
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・
ランキング参戦中!!
一日一回、ポチっとしてもらえると嬉しいです。

にほんブログ村