続・散々だった一日 ~ユダヤ人に救われる~
捨てる神あれば、拾う神あり
前回のブログで散々な一日を綴ったが、これには続きがある。
何をやってもうまくいかなかったこの日、夕方は旧市街を何も考えず歩いた。
無意識に歩いていると、またここの前に来てしまった。

セキュリティチェックの前に来たとき、無性にこの壁が見たくなり、中に入った。
壁の前の椅子に腰掛け、ココロを落ち着かせようと精神統一。
椅子に座ってから10分くらい経った頃、突然英語で呼びかける声がした。
ユダヤ人の多くはヘブライ語を話すため、英語を話すのは稀である。
どこかの観光客だと思い、目を開けると・・・
!!!!!!!!
そこには黒尽くめの男が立っていた。
30歳くらいで、眼鏡をかけ、もみ上げはもちろんクルクル。
初めて黒尽くめの方に声かけられました。
「どうしたんだい?ナーバスな顔して」
と、優しく声をかけてくれた彼。
僕は一日の顛末を話し、ココロを落ち着かせるためにここに来たと彼に言った。
すると彼は、
「それは災難だったね。じゃあ、一緒に祈ろう」
と僕を嘆きの壁の前まで連れて行き、ハットを壁につけ、祈り始めた。
僕も彼のまねをして、手で顔を覆いながら壁につけ、目を閉じる。
壁がひんやりとしていて、気持ちよかった。
3分ほど祈り、彼は僕に、
「少しは楽になったかな?」
涙が出るほど嬉しかった。
敬虔なるユダヤ人は、基本的にはユダヤの人としかしゃべらない。
ユダヤ教には選民性があり、他民族との交流を好まないからだ。
※選民についてはこちら
そんな敬虔なるユダヤの人に声をかけられ、一緒に祈って(嘆いて)もらった。
明日は絶対いい日なる!!
ちなみに今日は安息日の前日。
ユダヤ教の人たちが、おめかしをして続々と集まってくる。




安息日の前日の嘆きの壁は、多くの人でにぎわう。
日没後は写真撮影が厳禁なため写真はないが、凄い人だ。
この日は、ユダヤ教の方も家族で談笑し、友人との再会を喜んでいた。
いつもの堅い顔は一切ない。
人々は嘆きの壁の前で祈り、歌い、輪になって踊っていた。
モーゼの十戒を敬虔に今も守り続けるユダヤ教の人々。
安息日前日。
いつもとは違ったユダヤ教徒の顔をみた。
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