本日午後、作家の夢枕獏さんより、
とある玉稿が到着──

共感どころの話じゃねぇぜ。

獏さんの許可を頂きました。
みなさま、*以下の全文を、
どうぞ、是非とも大拡散くださいませ。

* * * * * * *

【静かに、しかし強く、なお強くこみあげてくるもの】
                   
夢枕獏

 心の中に湧きあがってくるものがあるのである。
 原稿を書いていても、窓から外を眺めていても、それは湧きあがってきて、消えない。怒りと言えば怒りなのであるが、その半分は哀しみのようなものだ。 
 それは、うまく表現できないのだが、
「馬鹿だなぁ、人間は……」
 という思いのようでもある。
「愚かだなぁ、人類は……」
 というあきらめのようでもある。
 もちろん、この“馬鹿”と“愚か”の中には、ぼく自身も入っている。
 人は馬鹿で、愚かで、つい保身に走りたくなる。自分が可愛い、そういうものでできている。だから、できるだけ、人の愚かさを愛そう努めてきた。許そうと努めてきた。当然ここには下心もある。
 だから、ぼくの馬鹿や愚かも許してねという下心である。けっこういやらしい。
 こういうことや、これから書くようなことは、あまり声高に発言するものではないとも、ずっと考えてきた。小説の中に書くことはあっても、このような文章で書くというのは、うまく言葉にならないということがわかっているし、誤解も生みやすく、うまく伝える自信もなく、これまでためらいがあったのである。
 しかし、この湧きあがってくる思いがなかなか消えない。 
 小説を書くことや、日常生活の中に、來雑物のように入り込んできて、消えない。なんだか苦しい。
 書いてしまえば、多少は楽になるかもしれないと考えて、原稿用紙のマス目に、下手な丸っぽい字を埋めながら、今、この文章を書きはじめたところなのだ。

 ぼくは、かつて、何度か国家と戦ったことがある。
 正確に書いておけば、戦っている人たちの端っこの方に混ぜてもらって、ささやかな発言をしてきたくらいなのだが、たとえば、意味のないダム建設に反対する運動などを、何度かお手伝いしたことがあるのだ。
 具体的に言えば、長良川の河口堰建設に反対したことであり、川辺川ダムの建設に反対したことであり、四国の吉野川の河口堰建設に反対したことである。その他いくつか。
 こういう運動は、時間と精神とエネルギーをとられるだけで、得られる果実はあまりに少ない。
 このような運動は、そもそも選挙の票をどれだけ持っているかどうか。一国の政治をひっくり返すだけの票を、その運動が持っているのかいないのか。そういう力を持たない運動は、無力に近い。
 一票は重いと言ったのは誰だ。一票はあまりに軽い。その軽い一票に、かなしいことに我々はすがらねばならない。すがるしかない。これまで、どれほどの無力感にさいなまれようと、この軽い一票を投じ続けてきた。

 原発についてもそうだ。
 原発はいかがなものかと、昔も今も思っている。なら、ダムでいいのか。化石燃料でいいのか。太陽光発電、風力発電でよいのかというところで、いまだぼくは答を持っていないのだ。その理由や細かいことを書けばきりがないのだが。原発のことでいえば、どれだけ理屈や理論で大丈夫と説明されても、一番不安なのは、それを管理するものが人間だからである。
 人間が不完全だからだ。

 資本主義は、お金を神にした一神教となりはてているし、共産主義だって、似たようなものだろう。これはもう、資本主義がいかん、共産主義がいかんという話ではなく、それを運用するのが人間だからいかんのじゃ、というミもフタもない結論になるしかない。

 人間は愚かである。
 自分の身は守りたい。
 言いわけ大好き。
 このぼくもそう。
 当然政治家もそう。 
 答えがない。

 これはもう、ただただ仕事をして、釣りをすることを、自分の善として生きてゆくしかないんじゃないの。
 どうなのよ。
 ぼくにはわからない。
 六十九歳になったが、今もわかんない。
 世の中のことのおおかたは、答えがない。正解もない。そのくらいはわかる歳にはなったが、自覚できたのは、自分の愚かさのみである。
 ああ──
 ひたすら小説だけを書いていきたいのだが、今回ばかりは、しみじみと何ものかがこみあげてきて、こんなクソな言いわけをしつつ、この文章を書き出したのである。
 
 コロナウイルスのことだ。 

 紀元前555年から548年にかけて、古代中国の斉(せい)という国に荘公光(そうこうこう)という王がいたのである。
 宰相が崔杼(さいちょ)というやり手の政治家だ。
 この崔杼が、荘公光を殺して、自分の言いなりになる荘公光の息子を新しい王とした。
 これを太史(たいし)が、
「崔杼、荘公を 弑(しい)す」
 と書いた。
 太史というのは、簡単に言ってしまでば国家の記録がかりである。歴史官といってもいい。
「弑す」
 というのは、目下の者が目上の者を──つまり、臣下が王を殺すという意味の言葉だ。
 すると崔杼は怒って、
「書きなおせ」
 と命じたが、太史は、
「できません」
 顔をあげてこう答えたのである。 
 それで、崔杼はこの太史を殺してしまった。 
 次の太史となったのは、殺された太史の弟である。この弟もまた、
「崔杼、荘公を弑す」
 と書いた。
 それで崔杼はまた、この弟も殺してしまった。次の太史となったのは、一番下の弟である。この一番下の弟もまた、
「崔杼、荘公を弑す」
 と書いた。 
 これで、ようやく、崔杼はあきらめたというのである。
 このこと、司馬遷の『史記』にも書かれている。
 もとネタは、さらに昔に書かれた『春秋左氏伝』に記されている。
 かつて、中国においては、これほどに『公文書』というものは重いものだったのである。
 なんのことか、わかるよな。

「がんばっている」
「よくやっている」
 は、子どもにかけてやる言葉だ。
 がんばったことで、許され、称讃されることは、もちろんある。
 格闘技であれ、スポーツであれ、敗者にかけられる言葉は、まず、ない。
 それでも、我々は、言う。
 泣きながら言う。
「よくがんばった」
「よくやった」
 これは、しかたがない。
 周囲は本当にそう思っているのだ。
 誰かを応援するということは、その誰かに自分の人生の一部をあずけることである。だから、応援している者が敗れると、深い喪失感を味わうのである。

 しかし、しかし、しかし──
 政治は違う。
 政治は別ものだ。
「よくがんばっている」
「よくやっている」
 でも戦争になってしまいました、はない。
 政治は結果だ。 
 結果が全てだ。
 コロナ問題もそうだ。
 感染症と闘うことができるのは、医療と政治しかない。
 その政治が、今、何をやっているのか。
 政治家として、きちんと闘っている人間は、わずかだ。
 何故、多くの政治家が沈黙しているのか。
 細かいことは、ここでは書かないよ。
 今後、コロナのことで死ぬ人が出てくれば、それは政治のせいであると思う。
 その政治や、政治家を作ったのは、我々だ。
 このぼくだ。

 ぼくは、今、六十九歳、高齢者である。
 高血圧、糖尿病だ。
 身体はよれよれだ。
 感染すれば、命があやうい。
 ぼくは、仕事と、釣りと、友人と、そして家族によって生かされている。
 困った時は、仕事と釣りにすがって生きてきた。 
 今のところは、無事だ。
 書くべき仕事、書きたいものは、山のようにある。
 もう一回、虫に生まれかわっても書いてゆきたい。

 今の感触で言えば、書くことで原稿料をいただくようになって、四十数年、やっとこの歳になって、スタートラインに立ったような気がしている。これまでの人生はこれのための準備期間だったとわかる。
 これから、やっと、書ける。
 ようやく、考えていたこと、やろうとしていたことに手をつけられる。 
 そう思えるようになった時には、もう七十歳が目の前だよ。
 人生なんて、そんなもんだ。
 志村さんも、そうだったろう。
 どれほど無念であったろう。

 いいか、書いておくぞ。
 ちゃんと見ているからな。
 誰が何を発言したか、どんな目つきをしていたか、忘れないからな。必ず覚えておくからな。
 もしも、この命ながらえたら、次の選挙の時、おぼえてろよ。

 二〇二〇年四月十二日