日本におけるラリードライバーの第一人者である
篠塚建次郎氏が逝去されました
東海大学自動車部から三菱自動車へ。
社員ドライバーとして数々のラリーに出場。
ワタシ自身ラリーというものに興味をもったきっかけの一人で日本人で唯一パリダカで勝てるドライバーはシノケンさんだけだと。
この世に世界で一番強くて速いRV車はパジェロであることを証明してくれた
パジェロをパリダカで優勝に導いたのもシノケンさん。
パリダカ参戦当初は夏木陽介率いる
チーム夏木三菱でデビュー
パジェロ最強伝説は今のトヨタですらできない三菱自動車がいかに技術の結集で世界一過酷なラリーを制しているかを三菱自動車の4WD車、特に現在販売しているデリカ、トライトンは引き継いでいます。
それもシノケンさんなしでは語れない伝説でパジェロ再販売の期待があるのもこのシノケンさんのパジェロ伝説が残っているから。
シノケンさんはWRCにも参戦しており、
初代ランサーでアクロポリスラリー初出場
初代ランサーエボリューションでもサファリラリー初優勝
またアジアパシフィックラリーでは重量級のギャランVR-4で年間王者に
53歳のときに三菱ラリーアートからマネージメントへの打診を断り現役にこだわっていたことから三菱自動車を退社し、日産自動車とプロ契約。2005年に日産はワークスでのラリー活動を終了するに従いフリーに転身。その後はタイヤメーカーのラリー用タイヤ開発ドライバーとしてイタリアのチームから参戦するが2018年を最後に世界のラリー活動からは退く。
傍ら母校の東海大学でソーラーカー開発を学生と共にオーストラリア横断ソーラーカーレースにチャレンジし完走も果たしています。
当時のソーラーカーで時速100キロを出せたのはノンプロの制作車両ではこの東海大学のソーラーカーだけだったそう。
最近までいすゞD-MAXでクロスカントリーラリーに出場していました。
シノケンさんが亡くなってもシノケンさんが築いた三菱自動車四輪駆動車最強伝説を途絶えさせてはならないです。