「金印公園」から更に1km弱行くと右手に、
大きな文字で「蒙古塚」と書かれた白い看板が目に入ります。
元寇(げんこう)一度目の1274年「文永の役(ぶんえいのえき)」で、
大嵐のため志賀島付近で難破した蒙古軍(元軍)船の兵士を日本軍が捕らえて殺害。
そのとき亡くなった蒙古軍兵士を供養するために造られたそうです。
敷地内には「蒙古軍供養塔賛」の碑を中心に、半円状に墓石(?)や灯篭が配置されています。
以前は別の場所にあったのが、2005年の福岡県西方沖地震により大きな被害にあったため、
現在の場所に移されたそうです。
数台駐められる駐車スペースあり。