四回目の入院中に見舞い祭りに来ていた友人が、ベッドサイドに置いていた担当医の手書きの手術説明書を何気なく見て
「うわ、これって灘文字だー!林先生がテレビで言ってた」
と、やけに感動していた。
お世辞にもうまいとは言えないその独特なミミズが並んでいるみたいな文字。
友人がそのテレビ番組で得た情報によると兵庫県の名門校の灘に通う生徒には独特の上手いとはいえない文字を書く生徒が多いということらしい。
頭の良い子は自分のスピードとルールで文字を書くらしい。
ちょうどそこに灘文字を書く担当医の先生様子を見に病室に入って来たので友人とその話をしたら、いきなり両手で頭を抱えこんで
「じ、実は灘出身なんです」
と、ぼそりと申し訳なさそうに教えてくれた。
先生の風貌は例えるなら鉄腕アトムに出て来るお茶の水博士を若くした感じでお茶の水博士より背はかなり高いイメージ。
朴訥とした方で偉そうな態度は決して取らない温かい人柄が滲み出ている先生だ。
その場で大笑いした私と友人はその日から先生を「灘文字先生」と呼ぶことを先生に提案した。
先生は苦笑いして嫌がっている風でもなく承諾して下さった気がする(?)
灘文字先生は私が舌がんを発症した時からずっと診察して下さった。
振り返れば五年近く世話になっていた。
再発が判明するたびに診察室の椅子で呆然としながら「私の何が悪くて再発するんですかね?」
と先生に聞くと
「何も悪くないです。悪いのは病気ですから」
いつもきっぱりと言って下さった。
病院も会社と同じで異動はある。
あれは四回目の再発から三ヶ月経った頃の三月の終わりの定期診察の時だった。
診察前に灘文字先生が
「四月に異動になることになりまして、担当が変わります」
とおっしゃった。
一瞬、頭の中が真っ白になり、今までの手術のこと、いつも入院中は様子を見に病室に顔を出して下さり気遣って下さったことを思い出して気づいたら涙が溢れていた。
「お世話になりました。淋しいです」
と言うのが精一杯だった。
口を開けていつもの舌の触診が始まった。
四回目の術後の傷を確かめている割にはいつもよりやけに時間がかかった。
灘文字先生が更に喉に近い舌の左側を押した時に激痛が走った。
「うーん。痛いですか」
と、灘文字先生は手袋を外して私を見た。
「ちょっと待ってくださいね」
と、他のブースで診察している先生方を集めて来た。
嫌な予感がした。
大学病院なのでいつも再発していると他の先生も触診して確認するのだ。
三人の先生が私の舌を触診した。
激痛が走る。
全く自覚症状がなかっただけに激痛がどこから響いて来るのか不思議だった。
先生方が何やら話しており、先生方はもとの診察ブースに戻り、灘文字先生が私の前に立ち
「再発してる可能性があるので検査します」
とおっしゃった。
検査の予約の手配をした灘文字先生が
「異動になるので手術は新しくいらっしゃる先生が担当します」
とおっしゃった。
「灘文字先生にまたお願いしたかったです」
と言いながら心細くなりまた泣けて来た。
「また部分切除ですか?」
と聞いたが、間があった。
「場所がちょっと厄介なところなので今までとは違う手術になるかもしれないです」
と返って来た。
いずれにしても検査してみないとなんとも言えないとのことだった。
その日、会計を待ちながら歌謡曲の「春なのに」のサビがが頭の中で繰り返された。
「♪春なのに、お別れですか♪
♪春なのに、再発しています♪
♪春なのに 春なのに ため息またひとつ」
替え歌にしてこの五回目の再発を自虐的に笑わなければ帰宅できそうになかった。
桜咲く四月はもうすぐだというのに。
桜が散ってから入院したいなあとぼんやり思ったのを覚えている。
灘文字先生は元気だろうか。
@辻井坂