私は無信心者あえて云うならば 『私自身・山の辺の地蔵菩薩』

          

フランシスコ・ローマ教皇

11月23~26日、日本訪問

 

 

 

 

被爆地の広島市と長崎市を訪れ、原爆犠牲者を追悼する。

 

 

長崎訪問のフランシスコ教皇、野球場でミサ 3万人参列

 

「焼き場に立つ少年」

ローマ教皇 「焼き場に立つ少年」の写真家の家族にあいさつ

ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、長崎市の爆心地公園でスピーチを行ったあと、原爆が落とされたあとの長崎で「焼き場に立つ少年」の写真を撮影した、アメリカ軍の従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏の息子と会話を交わしました。

 

 

ローマ教皇として38年ぶりに日本に滞在しているフランシスコ教皇は24日朝、長崎市の爆心地公園を訪れました。

 

 

平和の記念像

 

               

                       被爆直後の浦上天主堂

雨が降りしきる会場では、レインコートを着て待ち受けていた参加者が見守るなか、フランシスコ教皇は、平和の記念碑の前で深々と頭をたれて献花し、犠牲者に黙とうをささげました。

雨が降りしきる会場では、レインコートを着て待ち受けていた参加者が見守るなか、フランシスコ教皇は、平和の記念碑の前で深々と頭をたれて献花し、犠牲者に黙とうをささげました。

このあとスピーチを行ったフランシスコ教皇は

「この場所は私たち人間がどれだけひどい苦痛と悲しみをもたらすかを深く認識させる」と述べて核兵器の非人道性を強く非難しました。

そして
「核兵器や大量破壊兵器を持つことは平和や安定につながらずむしろさまたげになる」と指摘し、核兵器を持つことが安全保障につながるという考えは、恐怖と相互不信に基づく誤った認識だとして批判しました。

そして、核兵器禁止条約を含め核兵器と軍備の削減に向けて各国に引き続き働きかけていく考えを示しました。

さらに武器の製造や開発に多額の費用が費やされるのは「途方もないテロ行為」だとしたうえで、貴重な財源は貧困対策や自然環境の保護にこそ使われるべきだとしています。

そのうえで、フランシスコ教皇は
「新しい兵器の技術開発が進む中でわたしたちは多国間主義の衰退が事態を深刻化させているのを目の当たりにしている」と述べ国家間の相互不信の広がりが、兵器を規制する国際的な取り組みを崩壊させかねず、食い止める必要があると訴えています。

そして
「核兵器から解放された平和な世界こそが、数え切れない全ての人が強く求めるものだ」と述べ、核兵器のない世界の実現に向けて核の保有国、非保有国をとわず各国政府をはじめ、全ての人が一致団結して取り組むことを呼びかけました。

 

--------------------------------------

 

   

                      原爆の子の像                    世界遺産  原爆ドーム

                               破壊された広島県産業奨励館の残骸

 

ローマ教皇 広島 平和公園に到着

「平和のための集い」に参加

 

 教皇は演説で、「核の傘」の下にいながら平和について語る「偽善」を、強い言葉で非難した。「最新鋭で強力な武器をつくりながら、なぜ平和について話せるのだろうか。差別と憎悪の演説で自らを正当化しながら、どうして平和を語れるだろうか

 
戦争のために原子力を使用することを人類とその尊厳に反し、我々の未来のあらゆる可能性にも反する犯罪だと宣言。「次の世代の人々が平和について話すだけで何も行動しなかったとして、我々の失態を裁くだろう」と警告した。さらに、60年代に核の抑止力を否定し、軍備撤廃を唱えた教皇ヨハネ23世が出した回勅(公的書簡)を引用し真理と正義をもって築かれない平和は、単なる『言葉』に過ぎないとも語った。

 その上で、フランシスコ教皇は人々に三つの行動を呼びかけた。これからの世代に
二度と繰り返しませんと言い続けるために記憶すること」。自分だけの利益を後回しにして、平和に向かって「ともに歩むこと」。そして、原爆と核実験、紛争の犠牲者の名の下に「戦争や兵器はもういらない」と叫び、平和を「守ること」これらが広島においてより一層強く、普遍的な意味を持つと強調した。

 

広島市への原爆のきのこ雲(1945年8月6日 AM8:15)

 

私たちは子供・孫、子々孫々の

平和な生活を真剣に考えを伝えよう。

 

      

🍀🍀🍀 山の辺の地蔵☆🍀🍀🍀