3回目の月命日に・・・『回想、コナの最後の日』
(だいぶ前に書かせていただいたコナの最後の日々を綴ろうという手記
若干、趣向は変わりましたが、やっとやっとまた書こうという気持ちになりました
今までで最も長く 最もグダグダになってしまったかもしれません
でも、夫婦で記憶をたどり、コナの最期を忘れてしまわぬよう
やはり記録に残そうと判断しました
ご興味のある方は 宜しかったらお付き合いください)
今日は、いい天気だけど 寒いね、コナ
3か月前の同じ日曜日に お前は空に旅立った
あの日も、寒いけどいい天気だったっけ
前日から体調を崩し 呼吸が苦しそうで
酸素吸入器をレンタルしたけれど
ゴハンもちゃんと食べて 苦労しながらもいいウンチもして
まさか その日の夜に逝ってしまうなんて思いもせずに
亡くなった当日も 夕方の日暮れ前に・・・4時頃だったかな
抱っこで散歩も出掛けたね
家のすぐ近くで 新築戸建が売りに出て
そのオープンハウスを冷やかしに行ったんだけど
もう誰もいなくて 家は施錠されてて・・・
仕方なく コナを抱えて その家の周囲をウロウロ見学したんだ
『コナちゃん、このお家はどうですか?』と僕が尋ねたら
ママがコナの声色で
『う――ん、そうね、日当たりが良さそうだから住んであげてもいいわよ』
みたいな事を答えたっけか
アハハハ・・・・馬鹿みたいだよね
でも、コナを囲んでのこんな生活が当たり前だった我が家でした
だって コナはお姫様だったから
いつだってコナ姫様がいいようにするのが我が家流だったんだ
そうそう 実は コナが亡くなった日に
我が家で新しい炊飯器をおろしてね
コナに新しい炊飯器で最初に炊いたご飯を食べさせてあげよう!
前日の七草の日に コナの体調悪化でバタバタしちゃって
七草粥を食べ損ねたので
今日はおかゆさんを焚いて コナと一緒に食べよう!!って
ママが炊飯器を「おかゆ」モードでセットして・・・
ふと気がつくと コナはキッチンでママの足元にオスワリして
「くーだーさーい!モード」全開でさ~
僕が笑って様子を見に行ったら
ママがコナのお粥の具に、と鶏ささみとサツマイモをチン!していた
その匂いを嗅ぎつけて台所に行ったらしく
『仕方ないわね~』と
その具・・・ふかした鶏ささみとサツマイモを小皿にわけてもらい
僕からコナにあげたんだ
(これは亡くなった当日の昼ごはんの模様)
それが
そのササミとサツマイモが
結果
コナの
食いしん坊な我が家のコナ姫の
12年8カ月の犬生での
『最後の食事』になってしまいました
それが 1月8日(日)夕方5時半過ぎくらい
前日から
食事を摂ると 具合が悪くなる・・・を繰り返していたコナ
しばらくするとまた復活して また食べ物を欲しがって…の繰り返し
肝臓や腎臓が機能しなくなってきていた彼女は
何か食べると 排出された毒素をを解毒できずに
とてもシンドイ状況になってしまっていたのだと思う
肝臓は腫瘍で肥大し 肋骨よりも外側にせり出すくらいなっていた
だから 食べさせるものも
もっと慎重に選んであげなきゃいけなかったのかもしれないけど
もう来るところまで来た・・・と判断した我々は
夫婦で考え
どの食事が最後の食事になるかわからないから
コナの好きなものを食べさせる!って結論に至っていた
前日 近所の獣医さんに行った時に
受けた血液検査で 初めて 腎臓の数値が悪かったコナ
それも すごく悪かった
普通なら 入院して点滴する値だそうだ
でも 皮下補液の注射だけで 連れ帰ってきてしまった
(前日の1月7日 コナ、最後の通院・・・ 最後にお世話になった先生は
コナを迎えた時に ママが最初に連れていった近所の病院でした
このC先生の判断のおかげで、結果、
コナは最期の時の苦しみを最小限で済ます事が出来たのです)
その時から 本当は
近日中にこういうことになるとわかっていた
覚悟の上での最後の2日間だったといえばそうだったのかもしれない
でも 美味しそうにササミやイモをパクパク食らうコナの姿に
最期が近いとは思いがたい部分もあり・・・
17時半過ぎにササミとサツマイモを食べたコナ
予想通り また30分もすると具合が悪そうなそぶりを見せ
つらそうに横たわった
正確に言うと 腹が苦しく 動けなくなったコナを
寝床に横にならせた
腹部がパンパンに腫れ 息も浅く早くなり
寝かせた姿勢のまま 身動きもできないようだった
しばらくすると
眠りについたのか 意識がもうろうとしているのか
判断しかねる状態となっていった・・・
その後 明らかに前回までの体調悪化と異なっていたのが
身体が軽く痙攣を始め
薄目を開けた状態で その眼球が辻妻いわく「眼振」状態になっていた
眼球が ものすごいスピードで左右に振れていた
(眼振状態のコナ)
はじめのうちは
「コナ!」と呼ぶと
ハッと我に帰った感じで 首を起こして応じてくれていたが
そのうち 我々の呼ぶ声にも反応しなくなり
いわゆる 昏睡状態に落ちていった
彼女が 我々の呼ぶ声に反応しなくなったのとほぼ同時に
台所の炊飯器から米が炊けた事を知らせる電子音が聞こえた
始めて聞く音は 予想外に大きな音だったな
辻妻が『コナ、おかゆさん炊けたよ~』と
炊きたてのお粥を小さな器に盛って コナの口元に置いたけれど
さっきまでのコナが嘘のように まったく反応しなくなっていたんだ
次第に 呼吸が間欠するようになり
もしかして!まさか!このまま逝ってしまうのでは??
と 慌てた僕らは
ベッドに横たわっていたコナをそっと抱きあげ
交代に抱っこした
それが18時15分くらい
そしてちょうど僕が抱っこしていた 18時半くらいから
いよいよ痙攣がひどくなり
ついに コナは 今まで聞いたことのないような大きな雄叫びを上げ
身体を大きくのけ反らせ
コナとは思えないような 鬼のような表情となってしまった
誰がどう見ても苦しい 断末魔の叫びだ
あまりの苦しさに 抱いていた僕の着ていた
ガウンの襟を噛んで・・・
もう正視できない状態であった
(叫び声を出し 苦しむ母犬コナに 心配して寄り添う娘のオッジ)
実は前日に 近所の獣医さんに行った際に
「もう 延命はできなくてもいいので コナの苦しみを和らげる処置だけ
最大限の事をしてあげたい」
という強い意志を先生にお伝えし
自宅で急変した時のために 強い消炎鎮痛剤『レペタン』の注射を
分けていただいていた
それも 素人でもすぐに注射できるように
アンプルから薬を注射器に移してもらってあった
ので
家内が「今だよね?」と、いちおう僕に同意を求めた時には
既にその手に注射器が握られていた・・・
首のうしろの皮がタプタプして可愛い部分をつまみ
一気に注射して 10分、いや5分も経たないうちに
コナの般若のような表情は和らぎ
スースーと浅く早いながらも 寝息を立てて眠り出した
あー、よかった
そう、最初のうちは思っていたが
その時点で19時過ぎくらい
この薬は5,6時間しか効かないそうで
ちょうど薬が切れるころは深夜になる
分けて頂いた注射は1本だけ
さてどうしよう???と言うことになった
生憎、日曜日だし既に夜の7時を過ぎていた
こんな状態のコナを連れて
車で 行ったことも無い救急病院を探して ウロウロするのはためらわれる
もし そこで息を引き取ったりしたら 一生後悔しそうだ
でも、薬が切れたら またきっと苦しみ出す
往診してくれる先生はいないか
もしくは
コナを診ずして この注射を処方してくれる先生がいらしゃれば
僕が一人でそこに注射をもらいに行けばいい・・・と話はまとまり
まずは
この1年間コナがお世話になった
というか 僕たちとコナの最後の1年間を与えて下さったH先生に電話をした
先生は生憎 都下で開業されており
コナを連れていくには1時間はかかってしまうし
先生も この状態のコナを移動させることはやめたほうがいい・・・とおっしゃった
先生のお知り合いで できるだけ我が家の近所で
コナを診察せずして
レペタンの注射か座薬を出してくれる先生を探してくれるとの
有り難いお話を下さり 一旦電話を切り
とりあえずは先生からの折り返しの電話を待つこととなった
電話を切った後もしばらくは静かに休んでいたコナだったが
浅く早かった呼吸が 今度は逆に 妙に深く 間隔が開いた呼吸になってきた
「あれ、コナ、なんだかおかしいんじゃない?」と 家内が
寝かせてあったコナを抱き上げたのが 20時50分くらいだったか
すると程なくして 僕の携帯が鳴り(20時53分)
H先生からの電話に応対する僕に
家内が
「コナが死んじゃうよ!!電話している場合じゃないよ!!」 と叫んで
先生からの電話を慌てて切り
僕がコナを抱いて・・・
コナの口元が カクカクカクッと音を立て
一旦呼吸が止まり・・・・
「あー――、コナ―――ーーーーーーーーーっ」と叫んだら
また呼吸を始め
そんなことを2,3回繰り返して・・・・・
2012年1月8日(日) 21時ちょうど
コナは そのまま帰らぬ子となりました
(息を引き取った直後のコナ)
我が家の三人娘の優秀なリーダー犬
僕の最愛の娘
家内の大切な長年のパートナー
KONA、小夏
享年12歳8カ月
2010年2月に椎間板ヘルニアを発症し
外科手術・リハビリを頑張り
2011年2月に胆のう炎で三途の川をみて
2011年4月胆嚢摘出 すい臓ガン摘出の大手術に耐え
晴れやかに夏を過ごし
2011年10月に消化器型悪性リンパ腫を発症
11月に直腸のリンパ腫由来腫瘍を摘出する手術を乗り越え
僕らの希望に応えるがごとく
クリスマスや2012年の正月も 一緒にご馳走を食べて楽しく過ごし
正月が終わり松がとれた1月8日
コナは永眠しました
楽になれてよかったんだよな、長きに渡りお疲れ様、コナちゃん)
最期の2日間も 僕や家内がお前と一緒に居られる日を選んでくれて
本当に有難う、コナ
赤ちゃんの頃から 大切に大切に育ててきた妻にしてみれば
コナが癌になったこと自体が悔しくて悔しくてならないようですが
僕は お前が こうやって
ちゃんと僕たちに見送らせてくれたことに本当に感謝をしているよ
あんなに苦しそうな姿を見せつけられては
もう少し生きて欲しいとは到底思えないもんな
いつだって100点満点だったコナ
お前は最後の最後まで100点満点の優秀な娘でした
100点なんてもんじゃない!
僕ら夫婦には もったいない子・・・
神様からの天命を終えて
神様のもとに帰って行きました
ありがとう!!
大変に長い文章になってしまいましたが
その最後に
先日 ネットサーフィンで見つけた「ペット川柳」から一句、紹介させて下さい
『 幸せは きみの名前を呼べること 』
コナ・・・・
お前から教えてもらった大切なことを胸に
モカやオッジとの日々
砂時計からこぼれおちる砂の一粒一粒も無駄にしないよう
愛しみながら過ごしているよ
すべては君のおかげです
大好きだよ!!
コナ・・・
僕たち夫婦を そしてすべての人間を
100%信じてくれていた その真っすぐな瞳を
僕たちは絶対に忘れません・・・
ほんとうに ありがとう!!